保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

歴史

【最終稿】半藤一利氏が秋篠宮悠仁殿下の家庭教師だった⁈(2) ~『昭和天皇独白録』を読むべし~

《半藤氏が「質問がありますか?」と聞くと、悠仁さまは手を挙げて「アメリカはなぜ広島と長崎に原爆を落としたんでしょうか?」と質問した。 「質問を受けて、これはなかなか難しいぞ、と思いながらも丁寧に答えましたよ。細かいことは忘れてしまいましたが…

半藤一利氏が秋篠宮悠仁殿下の家庭教師だった⁈(1) ~宮内庁は左寄り?~

「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話…

河野太郎氏の親中的歴史認識(2) ~河野氏はシナの「使いっぱ」ではないのか~

《(A級戦犯)合祀の後、昭和天皇は靖国神社への参拝を行われなくなりました。 そして、1985年8月15日に中曽根首相が靖国神社に「公式参拝」を行ったのをきっかけに、中国政府も日本政府に対し、首相、外相、官房長官が靖国神社への参拝をしないよう…

河野太郎氏の親中的歴史認識(1) ~「A級戦犯」はシナの政治カード~

少し古い話になるが、河野太郎氏は自身の公式サイトに「ごまめの歯ぎしり」と称し、靖国問題について次のように書いておられる。 《1972年9月に、当時の田中角栄首相と大平正芳外相、二階堂進官房長官が中国を訪れ、毛沢東主席や周恩来総理と会談し、日…

閣僚の「8月15日の靖国参拝」について(2) ~秘されるコミンテルンの陰謀~

1920年(大正9年)レーニンはモスクワ共産党細胞書記長会議で次のように述べた。 《全世界における社会主義の終局的勝利に至るまでの間、長期間にわたってわれわれの基本的原則となるべき規則がある。その規則とは、資本主義国家間の矛盾対立を利用して…

閣僚の「8月15日の靖国参拝」について(1) ~8月15日参拝は政治的~

《菅政権になって初の「終戦の日」のおととい、3人の閣僚が靖国神社に参拝した。菅首相は参拝せず、自民党総裁として私費で玉串料を納めるにとどめたが、その2日前には、自衛隊を指揮監督する立場の防衛相を含む2閣僚の参拝もあった。敗戦から76年、首…

東京新聞の御用作家、半藤一利氏(5) ~目標と手段の混同~

《日本には国としてのしっかりした基軸があると半藤さんは書きます。それは、日本国憲法です。 「この平和憲法こそが人類を生かすための最大の理想であると思います」。そして「今がチャンスなんです。日本が率先して理想主義をどんどんやっていけばいいんで…

東京新聞の御用作家、半藤一利氏(4) ~殺戮に熱中する人間~

《日本人は時代の空気に順応しやすい。「そんな人たちは、戦争の悲惨の記憶が失われて、時間が悲惨を濾過(ろか)し美化していくと、それに酔い心地となって、再び殺戮(さつりく)に熱中する人間に変貌する可能性があるのじゃないでしょうか」(半藤一利『…

東京新聞の御用作家、半藤一利氏(3) ~新聞の黒歴史~

《昭和6年当時で大きかったのはラジオの存在です。今のNHKですが、日本放送協会は“国営”ですから、すぐ情報が入ります。満州事変なんか9月18日に起きて、19日の朝の6時からのラジオ体操の放送を中断して、「臨時ニュースを申し上げます」といって…

東京新聞の御用作家、半藤一利氏(2) ~デマを本当のことだと思ってしまう人達~

《われわれは、ちゃんと学んでいるでしょうか。都合の悪い歴史に目をつぶり、スマートフォンなどから好きなニュースだけ見て、それで満足していないでしょうか。 「かつてこの国にはおなじことがありました。戦争中の大本営発表を信じて、国民の多くが日本は…

東京新聞の御用作家、半藤一利氏(1) ~軽率な歴史観~

the historian will get the kind of facts he wants. History means interpretation. – E. H. Carr, What is History? (歴史家は自ら欲する類(たぐい)の事実を手に入れる。歴史とは解釈ということだ) ― 〇 ― 《ざっくばらんな語り口で、歴史を生き生き…

半藤一利『昭和史』を批判的に読む(7) ~許せない先人侮辱~

《ルーズベルトから「サミットなどとんでもない、お断り申し上げる」と言ってきました。すると途端に「やーめた」と10月16日、近衛内閣はひっくり返ってしまいます、というより、自ら御前会議で決めた期限である10月上旬を過ぎ、事態が進まないことを…

半藤一利『昭和史』を批判的に読む(6) ~大東亜共栄圏の虚妄~

《7月2日の第1回御前会議において、日本は何を決めたのか。それが重大事です。 「帝国は大東亜共栄圏を建設し……支那事変処理に邁進し、自存自衛の基礎を確立するため、南方進出の歩をすすめ、また情勢の推移に応じ、北方問題を解決す」 簡単にいいますと…

半藤一利『昭和史』を批判的に読む(5) ~コミンテルンのスパイ・尾崎秀実~

《ドイツがソ連に進攻するバルバロッサ作戦を開始した後に開かれた大本営政府連絡会議では…日ソ不可侵条約を自ら決めてきたばかりの松岡外務大臣が、その舌の根も乾かないうちに「直ちにソ連を攻撃せよ」と言って周囲を驚かせ、反発も受けましたが、構わず松…

半藤一利『昭和史』を批判的に読む(4) ~ノモンハン事件~

《ご存じのように、太平洋戦争では日本は見る影もなく撃ち破られるのです。昭和19年(1944)7月にサイパン島が陥落し、もはや太平洋戦争に勝利はないと確定した時、作戦課長であった服部卓四郎大佐はこう言ったといいます。 「サイパンの戦闘でわが陸…

半藤一利『昭和史』を批判的に読む(3) ~千人針~

《笑い話を一つ。わたくしもよく覚えていますが、子供のころ、都市の街角には「愛国婦人会」「国防婦人会」としるしたたすきをかけたおばさんたちが立ち、道行く人に「お願いします」と千人針―赤いぼつぼつで絵をかたどった手拭(てぬぐ)いを赤い糸で千人の…

半藤一利『昭和史』を批判的に読む(2) ~戦陣訓~

《昭和14年2月に日本陸軍省がひそかにつくった「秘密文書第404号」というのが残っています。そこに「事変地より帰還の軍隊、軍人の状況」という、中国から帰国した軍人から聞き書きをした記録があります。 「戦闘間一番嬉しいものは掠奪で、上官も第一…

半藤一利『昭和史』を批判的に読む(1) ~南京大虐殺~

作家・半藤一利氏が亡くなった。私はNHKの歴史ドキュメンタリー番組の監修者として必ずや名前の挙がる氏の歴史観に予(かね)てから疑問を抱いていた。この度90年の生涯を終えられた氏への私なりの「弔(とむら)い」として主著『昭和史』を読み返して…

繰り返される「バスに乗り遅れるな」式言説(1) ~「バスに乗り遅れるな」の誤解~

12月10日の読売社説は、「脱ガソリン車 世界の流れに乗り遅れるな」との標題を掲げている。 《地球温暖化の防止に向け、ガソリン車から電気自動車(EV)などへの転換を目指す動きが世界で急速に広がっている。日本も、官民で対応を急がなければならな…

「GO TO・桜・学術会議」(4) ~まとめ~

《日本の科学研究が軍事と距離を置くのは、平和国家として当然であり、歴史の教訓でもある。 軍部とそれに迎合する政治家が学問や表現の自由を弾圧して破滅的な戦争に突き進み、国民に大きな犠牲を強いて、塗炭の苦しみを与えた。政治家はその重い事実を決し…

バテレン追放令について(2) ~宣教師の衣の下に鉄砲を見た秀吉~

一方で、葦津珍彦(あしづ・うずひこ)説と軌を一にする記述も少なくない。例えば、中学歴史教科書にも次のような記述が見られる。 《キリスト教の布教を認めていた秀吉も,長崎の土地がキリシタン大名からイエズス会に寄進されていたことを知ると,1587(天…

バテレン追放令について(1) ~イエズス会は侵略者?~

先日、次のような記述を目にして驚いた。 《キリスト教を日本に初めて布教したザビエルは、まづ京都に行って皇室の諒解(りょうかい)をもとめたいと思った。だが戦国乱世のころで、ザビエルは日本の最高文化センターとしての皇室に連絡もできずに西国へ帰っ…

安倍前首相の好意的評価について(2) ~戦後を最も代表する安倍前首相~

《満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました》(平成27年8月14日内閣総理大臣談話) <国際社…

永井荷風『断腸亭日乗』(3) ~日本滅亡という繰り言(くりごと)~

敗戦後すぐ、9月28日の日記も随分偉そうな書きぶりである。 《昨朝天皇陛下モーニングコートを着侍従数人を従へ目立たぬ自動車にて、赤坂霊南坂下米軍の本営に至りマカサ元帥に会見せられしといふ事なり。戦敗国の運命も天子蒙塵の悲報をきくに至つてはそ…

永井荷風『断腸亭日乗』(2) ~檻の中の自由~

開戦半年前、6月20日の日記である。 《余はかくの如き傲慢無礼なる民族が武力を以て隣国に寇(こう)することを痛歎(つうたん)して措(お)かざるなり。米国よ。速(すみやか)に起つてこの狂暴なる民族に改俊の機会を与へしめよ》(永井荷風『摘録 断…

永井荷風『断腸亭日乗』(1) ~米国流デモクラシイの影~

作家・永井荷風は日米決戦間近、昭和16年9月6日の日記に次のように書いた。 《米国と砲火を交へたとへ桑港(サンフランシスコ)や巴奈馬(パナマ)あたりを占領して見たりとて長き歳月の間には何の得るところもあらざるべし。もし得るところ有りとせんか…

石破茂氏は「オワコン」だ!(1) ~ミスター自虐史観~

最近、「終わったコンテンツ(内容)」を「オワコン」と呼んだりするが、石破茂氏の発言を聞いているとまさに「オワコン」と思わざるを得ない。 自民党総裁選に立候補した石破茂元幹事長は、8日午後の所見発表演説会で、どうして戦前の日本が戦争になったの…

靖国神社閣僚参拝について

《敗戦から75年の日に、安倍首相に近い3人を含む4閣僚が靖国神社に参拝した。自らは参らず、自民党総裁として玉串料を奉納するにとどめたとはいえ、政権全体の歴史観が問われる事態である》(8月16日付朝日新聞社説) 朝日の歴史観が絶対的なものであ…

戦後75年の終戦の日を迎えて(5) ~蛸壺歴史観~

《ぜひ読み返してほしい文章がある。安倍晋三首相が5年前に発表した戦後70年談話である。(中略) 明治の日本が世界の列強に屈しまいと立ち上がった日露戦争のような戦いは「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と肯定…

戦後75年の終戦の日を迎えて(4) ~戦後の偏った歴史観~

《開戦時、政府関係者の念頭を支配したのは日露戦争の成功体験だ。自らの弱点を正視せず、都合のいい歴史を思い出す精神構造が平和論を弱腰と排除した》(8月15日付毎日新聞社説) 日露戦争の成功体験が後々の判断に影響しているだろうことは否定しないが…