少し古い話になるが、河野太郎氏は自身の公式サイトに「ごまめの歯ぎしり」と称し、靖国問題について次のように書いておられる。
《1972年9月に、当時の田中角栄首相と大平正芳外相、二階堂進官房長官が中国を訪れ、毛沢東主席や周恩来総理と会談し、日中共同声明に署名して、日中国交正常化への第一歩を記しました。
その日中共同声明のなかで、日本は「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」との立場を明確に文書にしました。
当時の中国国内には、日本に戦時賠償を求めよとの世論もありましたが、毛沢東主席、周恩来総理をはじめとする中国の指導者は、戦争は日本国内の一部の軍国主義者によって発動されたものであり、大多数の日本国民も戦争の犠牲者であるとの認識を示して、戦争の被害者が同じ戦争の被害者に賠償を求めることはできないとの立場を取りました。
日本側が戦争の責任をきちんと受け止めて反省していることを前提に、共同声明では中国側が賠償を放棄することを明確にしました。
ここでいう一部の軍国主義者の象徴が、極東軍事裁判で戦争の指導的責任を問われたA級戦犯です。
そのA級戦犯が、1978年に、靖国神社に他の戦没者と一緒に合祀されてしまったことが、この靖国神社問題の発端です》(2004年11月29日号-2)
所謂(いわゆる)「A級戦犯合祀」問題である。が、未だ<A級戦犯>という存在を認めるのは、極東軍事裁判(東京裁判)に対する無知か、<A級戦犯>を政治カードとして使いたいシナの回し者であろう。
東京裁判は「裁判」とは名ばかりの「戦勝国の復讐劇」であった。事後に法律を作って裁くなど文明社会にあるまじきものでしかなかった。
インド代表のラダ・ビノード・パール判事は次のような独自の判決書を認(したた)めている。
《勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行なうことは敗戦者を即時殺戮(さつりく)した昔とわれわれの時代との問に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである。
かようにして定められた法律に照らして行なわれる裁判は、復讐の欲望を満たすために、法律的手続を踏んでいるようなふりをするものにほかならない。それはいやしくも正義の観念とは全然合致しないものである。
かような裁判を行なうとすれば、本件において見るような裁判所の設立は、法律的事項というよりも、むしろ政治的事項、すなわち本質的には政治的な目的に対して、右のようにして司法的外貌を冠せたものである、という感じを与えるかもしれないし、またそう解釈されても、それはきわめて当然である。
儀式化された復讐のもたらすところのものは、単に瞬時の満足に過ぎないばかりでなく、窮極的には後悔を伴うことはほとんど必至である。しかし国際関係においては秩序と節度の再確立に実質的に寄与するものは、真の法律的手続による法の擁護以外にあり得ないのである》(『共同研究 パール判決書』(東京裁判刊行会)、p. 166)
東京裁判、否、「東京リンチ」で出された<A級戦犯>などという政治概念を認めるということは、未だ日本が戦勝国の支配下に置かれているということを意味するのである。【続】