保守論客の独り言

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半藤一利『昭和史』を批判的に読む(2) ~戦陣訓~

《昭和14年2月に日本陸軍省がひそかにつくった「秘密文書第404号」というのが残っています。そこに「事変地より帰還の軍隊、軍人の状況」という、中国から帰国した軍人から聞き書きをした記録があります。

「戦闘間一番嬉しいものは掠奪で、上官も第一線では見ても知らぬ振りをするから、思う存分掠奪するものもあった」

「ある中隊長は『余り問題が起こらぬように金をやるか、または用を済ましたら後は分からぬように殺しておくようにしろ』と暗に強 姦を教えていた」

「戦争に参加した軍人をいちいち調べたら、皆殺人強盗強 姦の犯罪ばかりだろう」(半藤一利『昭和史』(平凡社)、pp. 195-196)

 半藤氏は、石川達三『生きている兵隊』(中公文庫)にも「『生きている兵隊』の時代 解説に代えて」として同じ「秘密文書第404号」の話を述べている。が、これがどれほど信憑性のあるものなのか非常に疑わしい。敗戦後シナに洗脳され帰国した日本兵が偽証することが多々見られたからである。

 半藤氏の話は関連情報がなくいかにも唐突である。証言を検証なくただ鵜呑みにし、批判を逞(たくま)しくしている感が強い。

《これは、南京事件だけじゃなくて、その後の戦闘でも日本軍の軍紀はかなりゆるんでいたのではなかったかと思うのです。たいへん評判の悪い「戦陣訓」が昭和16年につくられますが、これは、いくらなんでもひどすぎるというので軍紀の紊乱(びんらん)を戒めるためにつくられたものです》(同、p. 196)

 満洲事変首謀者・石原莞爾(いしわら・かんじ)は退役挨拶で次のように述べている。

《明治以来の西洋中毒は今日殆(ほとん)ど頂点に達して居り、自ら日本主義者を標榜する人々すら功利主義的言動を平気で行って居ります。軍人も自然其の影響下にあります。クリスティの「奉天三十年」を見ますと日清戦争に比し日露戦争の時は軍紀が紊(みだ)れて居ることが明かです。日本軍が今次事変に若(も)し北清事変当時の道義を守ったならば蒋介石はとっくに日本の戦力に屈伏して居たであらうといはれます》(『明治百年史叢書 石原莞爾資料―国防論策篇[増補版]』(原書房)、p. 453)

 が、石原氏の言う軍紀の紊れとは半藤氏の言うような下賤な話ではない。

《時局の波に乗じて「常々人に接るには温和を第一とし諸人の愛敬を得むと心掛けよ」との聖諭をわすれ、「豺狼(さいろう)などの如く」思はるる戦友の逐次増加しつつあるは残念ながら否定出来ません。又軍人の「信義」や「誠心」をうたがふ世間の評判も断じて軽視を許しませぬ。軍人の責務いよいよ重大なるにつれ益々一心に勅諭の御示に恭順ならんことを念じて全軍の団結を鞏固(きょうこ)にせねばなりません。

「戦陣訓」は誠に機宜に適した教訓ですが、其の取扱若し万一適正を欠くが如きことあったならば勅諭に対し奉る信仰の統一を妨ぐる恐れ絶無とは申されませぬ》(同、pp. 453-454)

 そもそも<殺人強盗強 姦>といった非道徳的行いは<軍紀>とは次元の異なる話である。【続】