保守論客の独り言

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半藤一利『昭和史』を批判的に読む(7) ~許せない先人侮辱~

ルーズベルトから「サミットなどとんでもない、お断り申し上げる」と言ってきました。すると途端に「やーめた」と10月16日、近衛内閣はひっくり返ってしまいます、というより、自ら御前会議で決めた期限である10月上旬を過ぎ、事態が進まないことを閣議で問い詰められたのです。とくに陸軍大臣東条英機中将がガンガン言いました。

 「いいですか、アメリカがしきりに要求している中国からの撤兵は、陸軍にとっては、それを実行することは、人間でいう心臓が止まるような話です。アメリカの主張をそのままのめば、これまで4年間戦ってきた支那事変の成果はまったくゼロになり、満州国そのものも危うくする。朝鮮を国防の最前線とすることも不可能となる。撤兵を交渉の看板にするなどということは絶対いけません。撤兵は退却そのものです、撤兵は心臓停止です。主張すべきは主張すべきです。譲歩に譲歩を加え、その上で基本をなす心臓まで止める必要がどこにありますか。それは外交ではありません、降伏です」

 すると近衛さんは、さようでござるか、では海軍大臣はどう思うかと尋ねましたが、及川海相からは、「よくわかりませんので、首相にご一任申し上げます」と情けない答えしか返ってきませんでした。海軍はここで敢然として和を主張すべきと思いますが、「一任する」と重い責任から逃げ出したわけですね。

かくて、陸海軍の不一致を理由に、近衛首相は辞表提出となったのです。国家存亡の危機に直面して、誰も彼も、ほんとうに無責任そのものなんですね。右も左も不忠の臣ばかり、哀れというもなかなか愚かなり、というわけです》(半藤一利『昭和史』(平凡社)、pp. 360-361)

 答えの分かっている現在という「歴史の高み」から過去を見下し糾弾することは許されない。<一任する>とは必ずしも無責任な発言とは思われない。責任を負うには余りにも事が重大なので首相に判断を<一任する>ということは十分に有り得ることである。

 指導者たちが当時置かれていた苦境を推し量ることなく<誰も彼も、ほんとうに無責任そのもの>などと言うのは傲岸不遜(ごうがんふそん)。<右も左も不忠の臣ばかり>などと先人をただ見下すのは、半藤氏には人を見る目もなければ思い遣る気持ちもないということの裏返しである。

《北海道の北半分を領土とすることを主張するソ連の提案を、トルーマンは真っ向から否定しました。おかげで日本はドイツのように分割されることなく、戦争を終結できたわけです。こうした歴史の裏側に隠されていた事実をのちになって知ると、いやはや、やっと間に合ったのか、ほんとうにあの時に敗けることができてよかったと心から思わないわけにいきません》(同、p. 494)

 敗戦後分割統治されずに済んでよかったなどと考えるのは「負け犬根性」丸出しである。先人たちが感じたであろう「敗北の無念」が分からない人間は、まさに「人非人(にんぴにん)」と呼ぶのが相応しい。

《それにしても何とアホな戦争をしたものか。この長い授業の最後には、この一語のみがあるというほかはないのです。ほかの結論はありません》(同)

 先人のお陰で今の我々がある。そのことを忘れ、<アホな戦争>の一言で済ませる半藤氏を私は許せない。【了】