《われわれは、ちゃんと学んでいるでしょうか。都合の悪い歴史に目をつぶり、スマートフォンなどから好きなニュースだけ見て、それで満足していないでしょうか。
「かつてこの国にはおなじことがありました。戦争中の大本営発表を信じて、国民の多くが日本は勝ちつづけていると信じた。(中略)戦争中の国民の姿がダブって見えてくるんですがね」(『令和を生きる』)》(2月14日付東京新聞社説)
原文を追ってみよう。半藤氏は言う。
《知りたい情報しか知らないひとたちが増えると、デマをほんとうのことだと思ってしまうひとたちが増えるということになりますね。かつてこの国にはおなじことがありました。戦争中の大本営発表を信じて、国民の多くが日本は勝ちつづけていると信じた。つまりわたくしたちは統制された情報でしか世の中のことを知らなかったわけです》(半藤一利・池上彰『令和を生きる』(幻冬舎新書)、p. 95)
まさにその通りで、半藤氏や池上氏の<デマ>を本当のことだと思ってしまっている人達が増えることだけはご勘弁願いたい。
<戦争中の大本営発表>は、現在で言えば、「マスコミ報道」に他ならない。自分たちが偏った情報を発信し、国民を惑わせていることを棚に上げる様は滑稽と言うより他はない。
《「新聞は情報をもらうために軍に迎合していって、それまでの軍縮をよしとする主張を吹っ飛ばしてしまう。それからの新聞はいろんな意味で軍に代わって太鼓を叩(たた)いたと思いますよ」(半藤一利『いま戦争と平和を語る』)》(同、東京社説)
東京社説子は、このように新聞についてあっさり書いているが、半藤氏はもっと色々語っている。
《大阪朝日がついに軍を賛美し始めるのが昭和6年の10月になってからなんです。満州事変は9月に始まっているんです。どうしてかというと、不買運動が起きちゃった。在郷軍人が先頭になって、奈良県下なんて全部朝日をやめたというほどの不買運動が起きて、ついに朝日の営業が降参した。大阪朝日の役員・部長による大会議が開かれて、高原操さんという硬骨というか、いちばん軍に歯向かっていた人が最後に演説をして、「社のために転向する」といって、それまでの反軍の論調を変える。
どうしてそれがわかるかというと、憲兵隊の調書に出てくるんです。妙なものですよ。「何月何日何時から、朝日で会議が行なわれて」なんて大会議における論議のくわしい記述がポコンと出てくる。新聞社の幹部にスパイがいたんでしょうかね。そういうもので見ると、「新聞というのは辛いんだなあ」ということがよくわかりました。
でもねえ、結局は戦争は新聞のいちばん売れる飯のタネなんです。戦争で部数を増やすんですね。それは事実なんです。それに対して反軍的に論陣を張ると日本人の気持ちでは「この新聞は何だ」ということになる》(半藤一利『いま戦争と平和を語る』(日経ビジネス人文庫)井上亮編、p. 256)
新聞が売れなければ経営は成り立たない。だから戦争を煽る側に回ったのだ、という言い訳らしい。
が、自分たちの経営のために戦争を煽ったせいで、日本各地は焼け野原となったわけであり、とてもこのような理屈が通る訳がない。【続】