《軍部の独走だけにとらわれず、開戦の背景にあるものにも目をこらす必要がある。見過ごせないものの一つがポピュリズム(大衆迎合主義)だ》(8月15日付毎日新聞社説)
最近流行りの「ポピュリズム」を戦前の日本に適用して歴史を再解釈しようというものである。読売社説も同様である。
《社会不安が高まれば、政治不信が加速する。ポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭し、無謀な戦争へ突き進んだ戦前の歴史を考えれば、健全な内政こそは国際協調に資する外交の前提と言えよう》(8月15日付読売新聞社説)
《日本のポピュリズムは、日比谷焼き打ち事件(1905年)に淵源を持ち、普通選挙実現(25年)の頃に始まった。
日露戦争の講和条約に反対する国民大会が暴動化して起きた日比谷焼き打ち事件は、吉野作造(戦前、東京帝大政治学教授)が「この事件を以て『民衆が政治上に於(おい)て1つの勢力として動くという傾向』が日本において始まった」としているように大衆の巨大な力が最初に現れた事件であった》(6.大政翼賛会を招いた政党政治の未熟:週刊東洋経済 2018.4.28.5.5、p. 50)
<民衆が政治上に於て1つの勢力として動く>とは、要は「デモクラシー」のことである。が、ポピュリズムはデモクラシーと同一ではない。
ポピュリズムとは、要は「反権力」のことである。そして反権力の代表が「社会の木鐸」を僭称するマスコミである。つまり、マスコミがポピュリズムの主役ではないかと考えられる。
《開戦に意気上がる世論について、東京大の加藤陽子教授(日本近現代史)は「満州事変以来10年、国民は反英米の言説ばかり聞かされてきた。交渉による妥協などには耳を貸せなかった」と語る》(同、毎日社説)
このような言い方は誤解を招く。朝日をはじめとする新聞が世論を煽ったのである。そこにはコミンテルンのスパイで朝日新聞記者の尾崎秀実(おざき・ほつみ)がいたことを忘れてはならない。
シナ事変が泥沼化してしまったのは、尾崎らが「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)(=残虐な支那を懲らしめよ)と世論を煽り、抜け出せなくなってしまったからである。
《全体主義が進み、治安維持法をはじめとした弾圧立法、抑圧機構が反戦、反権力的な動きを抑え込んだ。国民は目と耳を塞がれたような状況下に置かれ、「挙国一致」のかけ声の中で開戦に付き従う空気が醸成された。
ポピュリスト政治家が高揚する世論に乗じて影響を広げた。メディアも偏狭なナショナリズムをあおる報道を展開した》(同)
政党内閣が崩壊し、軍が実権を握り、日本は「軍国主義」へと雪崩れていったというのが従来の一般的な歴史解釈だったように思われるのだけれども、これとポピュリズムはどのように関わってくるのであろうか。