保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「ジャニーズ問題」から考える社会の小児病(2/3)

《彼等〔=ユダヤ〕はこの3つの媚藥〔=スポーツ・セックス・スクリーン〕を、攻略せんとする國民の眼の前へ突き出しておいて、それに夢中にさせる。この夢中になるといふことは、その裏でこつそりと行ふ彼等の陰謀を氣づかせないことにもなる。またこの媚薬のために國民性を堕落させることも出來る。更に國民が夢中になることに依つて、莫大な金が彼等の懷へ入つても來るのである》(神田計三『覆面の敵 ユダの挑戦』(六合書院):国立国会図書館デジタルコレクション、p. 324)

 今では「映画」は「テレビ」に取って代わられたが、「3S政策」は今なお健在である。大衆は、テレビを見ることによって骨抜きにされてしまっている。最近は、若者のテレビ離れが進んでいるとも言われるが、テレビがネット動画に取って代わられただけだ。いずれにせよ、視覚情報を鵜呑みにし、考える力が衰弱している。メディアを主体的に読み解く力「メディアリテラシー」が身に付き、備わっていないということだ。

 主体的に物事を判断する責任感と能力を持たぬ人間を「子供」と称するのなら、今の世の中は、大人になりそこなった「子供」で溢(あふ)れかえっている。

《第2次世界大戦の前夜、オランダの文明史家であるホイジンガは、当時のヨーロッパ文明が「小児病」化している、と言った。人々は、たやすく満足を得るべく即席の気晴らしに精を出し、粗野で大げさなものに引かれ、壮大な見せ物に拍手を送る》(佐伯啓思「幼児化が招く文化の喪失 ジャニーズ問題から考える」:2023年7月14日付静岡新聞

心理的にさらに深いところに基礎をおいた特質で、これまた同様に小児病と名づけることによって最もよく把握することのできるものには、ユーモアの感覚が欠如していること、反感を秘めた言葉に対して、いや時には愛情をこめた言葉に対しても、誇張的な反応の仕方をすること、物事にたちまち同意してしまうこと、(他人)に悪意ある意図や動機があったのだろうと邪推して、それを押しつけてしまうこと、(他人)の思想に寛容でないこと、褒めたり、非難したりする時、途方もなく誇大化すること、自己愛や集団意識に媚(こ)びるイリュージョンにとり憑(つ)かれやすいこと、などがある。

これら小児病的特徴の多くは過去の各時代の中にも夥(おびただ)しく見出されるものではあるが、何といっても、今日の公共生活の中に拡まっているように、それが膨れあがってマス化したり、残酷さと結びついたりしたことはなかった》(J・ホイジンガホモ・ルーデンス 人類文化と遊戯』(中央公論社高橋英夫訳、p. 340)

 ホイジンガがこれを発表したのは、第2次大戦前1938年のことであった。が、ここに挙げられた大衆の特徴は、今なお顕在である。【続】