保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(21)日本経済新聞その3

《そもそも人間にはいかほど智恵があっても、その人情に親切なる所がないと、その智恵は悪智悪覚に帰し、悪いことをして人を害し、身を賊(そこな)うに終るペし。ゆえに余は人を便うにしても、智恵の多き人よりも人情に厚き人を選んで、採用しています。孝悌(こうてい)の道に厚く親兄弟に親切な心のある人を好んで採ります。そういう人の中でも、千に1つは悪いことをする者がないとはいえないが、まず安心して使うことができます》(渋沢栄一論語講義(1)』(講談社学術文庫)、p. 32)

 たとえどんなに知識があり有能であったとしても、その知識と能力の使い方を誤れば有害無益である。害をなすことに有能さを発揮するのだからかえって質(たち)が悪い。何をもって方向性が正しいと言うのかは簡単ではないが、渋沢氏にあっては<人情に親切なる所>と言っているわけである。つまり、頭が良いかどうかよりも、人に対して親切であるかどうかの方が大切だということだ。

《しかしてそういう人は上を犯し(おか)侮(あなど)るがごときことをなすははなはだ少い。すでに上位にある人を犯し侮ることを好まざる者は、乱逆の振舞をなすというごときことは「末だこれあらざるなり」で絶対になきなり。すなわち人情敦厚(とんこう)の人、孝悌の道を弁(わきまえ)たる人物を集めて、官府の公務を経営し銀行会社の事業を弁成すれば、決して不始末を生じ破綻を起す心配はなかるべし》(同、pp. 32f)

 漢文学者・簡野道明氏は次のように解説する。

《此一章は治國の本(もと)は、敎育に在りて、教育の本は人人をして仁德を修めしむるに在り。而(しか)して仁德の本は、孝弟を務むるに在ることを說く。誠に千古の格言なり。

周は帝王東遷以後、卽(すなわ)ち春秋の世に及(およ)びては、道德大(おおい)に廢頽(はいたい)し、臣にして眞の君を弑(しい)する者ありも子にして其の父を弑する者あり、有子は深く常時人倫の原籍を懷き、之を矯正して治平に至らしむるの道は,國民に孝弟の德を修めしむるに在りとす。

何となれば、子弟能(よ)く孝弟を務めて、恭順の德を實行するを得ば、決して上を犯し亂(らん)を作(な)す如(ごと)きことある可からずして、長く禍亂(からん)の源を塞(ふさ)ぎ、天下自ら治平なるを得べければなり。若(も)し之に反して在上者たる者、徒(いたずら)に賦斂(ふれん)を厚くし、功利を事とし、法律を嚴(げん)にする如き事を急務として、國民の順德たる考弟を勤むることを爲さざれば、犯上・作亂の禍(わざわい)起りて、天下の治平は得て望むペからざればなり》(簡野道明論語解義』(明治書院)、p. 7)