保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

8月15日「終戦記念日」社説を読む(20)日本経済新聞その2

教育ニ関スル勅語」(教育勅語)には、

父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ…

(父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘(きずいきまま)の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及(およぼ)すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為(ゆうい)の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守(じゅんしゅ)し、…)

とある。これらはごく一般的な「徳目」を説いたものであろうが、これを評価するのは「底が浅い」と罵倒(ばとう)する社説子は、おそらく善悪の評価軸がねじ曲がってしまっているのであろう。

 東宮御学問所御用掛を務めた杉浦重剛氏は、次のように解説する。 

《人は万物の霊長として生物の最高に位(くらい)す。人のかかる高尚なる品位を有する所以(ゆえん)は、他の生物と異(こと)にして、人はその親に対して孝道を尽(つく)すに基づく。

 他の生物は自然的生活に止まり、敢(あえ)て自然以上の高尚なる生活を思はず。親の子を愛するは自然にして、動物もなほよくこれを為(な)す。しかれども、子が親の恩に感じて愛敬(あいぎょう)を尽すは、ひとり人にのみ存する所なり。

 孝とは、子が愛敬至誠の心を以(もっ)て親に事(つか)ふるを云ひ、理屈にあらず感情なり。しかうして、孝は百行の基(ひゃっこうのもとい)にして、倫理の本原は、実に孝の一字にありと云ふべし》(杉浦重剛昭和天皇の学ばれた 教育勅語』(勉誠出版)、p. 57f)

 『論語』にも次のような一節がある。

有子(ゆうし)日わく、其の人と為(な)りや孝弟(こうてい)にして、而(しか)も上(かみ)を犯(おか)すことを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すことを好まずして、而も乱を作(な)すことを好む者は、未だ之れ有らざる也。君子は本(もと)を務(つと)む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁の本為る与(か)。(学而第一)

 桑原武夫氏は、次のように解釈する。

《「孝弟」は孝悌とも書かれ、それぞれ両親と年長者に対する家族集団中における尊敬の義務のことである。「上」とは家族集団を離れて、より広い政治体における上位者、特に君主を指す。

 家族道徳を守る人間であって、上位者にさからう者はめずらしい。上位者にさからうことを好まないでいて、内乱をおこした人間はかつて見たことがない。ところで君子は根本について努力する。根本が確立すれば道はおのずと生れてくる。孝弟といわれることは、「仁」すなわちひろく人間が人間を愛するヒューマニズムの根本といってよいのではないか。

 儒教では一挙に超越的に理想へ飛びつこうとしない。小から大へ着実に拡大していこうとする。「修身(しゅうしん)斉家(せいか)治国(ちこく)平天下(へいてんか)」(『大学』)という言葉がそれをよく示している。平和な秩序を確立して善政をしこうと思うなら、まず家族内の道徳に努力しなければならない》(桑原武夫論語』(ちくま文庫)、p. 11)

 このように親孝行が社会の安寧(あんねい)秩序の大本(おおもと)にあることを考察するのと、日経社説子のように教育勅語の親孝行の裏には「國體」「天皇」があると斜に構え、親孝行という徳目を評価する人間は底が浅いと馬鹿にするのとでは「雲泥の差」がある。