山尾志桜里衆院議員は、3月12日の立憲民主党代議士会において、
《強大な私権制限に国会承認かけない「非立憲」法案。賛成ありきの国対政治に先祖返りした「非民主」的手続き。立憲民主党の議員として、「非民主」的手続きで賛成と決められた「非立憲」法案には反対です》(3月13日付 Facebook)
と党執行部を批判し、
《立憲主義と民主主義という大切な価値観で折り合えないまま、政党に所属して活動することは適切でない》(3月18日付 Facebook)
として離党した。
《国会議員の本分は、意見の違う相手とも議論して、その議論のプロセスを国民と共有し、出てきた結論には責任をもって賛否を示す。その上で、さらによりよい解決策を目指して前向きに議論を続けていく》(同)
とは 『五箇条の御誓文』に言う、
《廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ》
ということである。ここまでは異論ない。が、
《国会議員である以上、国会運営が属人的な要素や政局的な要素に左右される『人の支配』に陥らないように、国会議員一人一人が積極的に自ら議論の主体として『法の支配』を堅持していく覚悟が必要だ》(同)
という部分にはやや疑問符が付く。実際、
《改正特措法で緊急事態が宣言されると、住民の外出自粛こそ要請ですが、学校や保育園、老人ホームなど施設の使用制限や禁止、イベント・催事の中止などを指示できることになっています。人権が著しく制限される懸念があるのです。
期間は2年が上限で、その後1年ごとに延長でき、回数に制限もない。いったん宣言が発令されると、いつまでも戒厳令のような状態が続く可能性がある。市民から「長すぎる」「禁止が厳しすぎる」などの疑念や不満が出ても反対集会ができない恐れもある》(『週刊朝日』2020年3月27日号)
と言うのであるが、あまり「人権」をうるさく言い過ぎると緊急事態を宣言するのが遅れたり、緊急事態宣言による指示が甘くなってしまいかねない。
《立憲民主党を離党した山尾志桜里衆院議員は時事通信のインタビューに応じ、国会での憲法改正論議に消極的な立憲の姿勢を「立憲主義に反する」と指摘した》(2020年03月29日07時35分 時事ドットコムニュース)
のは、立憲民主党が実態は「非立憲非民主党」であると言ったに等しい。
―離党につながった改正新型インフルエンザ対策特別措置法の評価は。
山尾:(新型コロナウイルスでも発令可能となった緊急事態宣言は)重大な私権制限なので、国会が報告される客体ではなく承認する主体であるべきだ、との思いは今も変わっていない。野党から「承認主体になると責任を負わされる」などの意見が出たのは問題だ。
責任ある立場に立ちたくないなどという子供染みた議員がどれくらいいるのか知らないが、日頃の国会の様子からして「然(さ)も有りなん」と察しは付く。
山尾:私が憲法の中身の議論をすべきだと言った時、枝野幸男代表が不快感を表明した。それは立憲主義に反している。国会議員は国民に(憲法について考える)素材を提示する責任がある。安倍政権の土俵で憲法を論じるな、というのは愚民思想だ。