保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

憲法審査会開催に応じない野党について(1)

新型コロナウイルスの感染拡大は、国権の最高機関であり立法機関である国会の機能すら麻痺(まひ)させかねない。憲法56条は「総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」と定める。議員の間に感染者や濃厚接触者が広がれば、あっという間に国会は停止する。

 ▼さすがに危機感を覚えたのだろう。これまで憲法改正論議に消極的に見えた公明党北側一雄憲法調査会長は9日、こう明言した。「感染症の拡大がどう展開していくか分からない。(緊急事態に関する)憲法上の規定を議論するのはとても大事だ」》(411日付産經抄)

 コロナ禍がなければ、国会が開けないなどということを想定できなかったであろう。が、そういう事態も有り得ることは今なら想定できるに違いない。そこで問われるのは、憲法に緊急事態条項を追記する必要があるのかないのかということである。

立憲民主党など野党の多くは「不要とは言わないが不急だ」などと言葉遊びではぐらかして憲法審査会開催に応じない。「本当に事態が深刻になったときにはもう議論なんてできない」(与党の憲法審幹事)にもかかわらずである》(同)

 国会議員は議論をするのが仕事である。にもかかわらず、野党は憲法議論が改正に繋がりかねないとして議論を拒否する。

 それであれば、憲法審査会で緊急事態条項は不要である旨をしっかり説明すれば良いと思うのであるが、それを拒否するということは、議論をする自信がないのではないかと疑われもする。実際、憲法について説得的に語れそうな野党議員の顔が浮かばない。

《駒沢大の西修名誉教授(比較憲法学)は新著『憲法9条を正しく知ろう』で、衆参両院に設置された憲法審に費やされた予算が全く生かされていないと嘆いている。審査会がめったに開かれないので、仕事の機会が与えられない衆参事務局の人件費だけでこれまで16億2千万円がかかっていると》(同)

 憲法審査会での議論が不要だと思うのなら、審査会自体を廃止するように働きかけるべきではないのか。ただ開催拒否するのは職務怠慢である。

日本維新の会馬場伸幸幹事長の今年1月の衆院予算委員会での次の質問も紹介されている。「全然、議論しない。仕事をしないのに海外視察だけ行っている。一人200万円もの大金を使って。私からいえば慰安旅行ですよ、これ」》(同)

 今の国会のどこに<海外視察>が反映されているというのか。必要目的のない<海外視察>はやめるべきである。

《野党は、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」に5千万円もかけたのはけしからんと追及してきたが、はるかに多額の血税を平気でどぶに捨てるようなまねをしている》(同)

 必要があればやればよい、必要がないのならやめればよい、それだけである。

 私はもう少しおおらかであってよいと思っているが、厳しく追及するのなら、政権に対してだけでなく、野党自らの振る舞いや言動に対しても同等の基準を当てはめて欲しいものである。【続】