保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「ジャニーズ問題」から考える社会の小児病(3/3)

《共同責任を負うべきであるのは、中途半端な教養を身につけた大衆が精神的な交わりの世界に加わるようになったこと、道徳的な価値基準がゆるんでしまったこと、そして、技術と組織が社会に与えた伝導率が余りにも大きいものであること、こういう現実である。

教育、良風美俗、伝統による薫陶(くんとう)を欠いた、半ば成人した青年層に固有な精神態度が、あらゆる分野で主導権をその手に収めようとしつつあり、しかも、それが全くやすやすと成功しているのだ。

公の世論が形づくられるすべての分野を支配しているのは、未成年者の気質と青少年団体(クラブ)の知恵である》(J・ホイジンガホモ・ルーデンス 人類文化と遊戯』(中央公論社高橋英夫訳、pp. 340f)

 さて、「ジャニーズ問題」の根底には、視覚情報に依存する社会がある。目で見たことが大事なのだ。これが習い性(ならいせい)になれば、心に想ったり、頭で考えたりする能力が退化する。その結果、映像によって情報が操作されていることに気付かない。それどころか、情報操作が行われていようとは夢思わない。

《もともとテレビはナマ放送であった。それが録画後に操作できるようになって、恣意(しい)的な「加工」が始まる。技術の発展はテレビ文化の質を上げるどころか、「ディレイ」と言って、ナマ放送でも数秒遅れて映像を送出し、その間に不適切な所をカットするという「検閲」にも近いことができるようになっている。ここまでくると全ての放送映像操作は実に容易だ》(伊藤悟「洗脳の道具と化していくテレビ」:『社会主義』(社会主義協会):2006/第532号:国立国会図書館デジタルコレクション、p. 71)

 テレビ局の都合の良いように情報が改竄(かいざん)されている。勿論、すべての情報が改竄されているわけではない。日本を改変するために敷かれたレールに沿った話は、たとえそれが反日的であれ、そのまま流される。グローバルという名の共産主義思想も然(しか)り。が、一旦自分たちのイデオロギーに反していると判断すると、削除されたり加工されたりするのだ。謂わば、放送の内容はあらかじめ「検閲」されているということだ。

 このことは、テレビを観ているだけでは分からない。例えば、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のようなテレビと違った媒体を参照してはじめて見えてくるものである。

 「ジャニーズ問題」にせよ、「旧統一教協会問題」にせよ、「コロナ問題」にせよ、集中的で一方的な情報には眉に唾を付けて疑ってみることが必要だ。否、そのような情報番組を見ないことの方が賢明と言うべきか。【了】

「ジャニーズ問題」から考える社会の小児病(2/3)

《彼等〔=ユダヤ〕はこの3つの媚藥〔=スポーツ・セックス・スクリーン〕を、攻略せんとする國民の眼の前へ突き出しておいて、それに夢中にさせる。この夢中になるといふことは、その裏でこつそりと行ふ彼等の陰謀を氣づかせないことにもなる。またこの媚薬のために國民性を堕落させることも出來る。更に國民が夢中になることに依つて、莫大な金が彼等の懷へ入つても來るのである》(神田計三『覆面の敵 ユダの挑戦』(六合書院):国立国会図書館デジタルコレクション、p. 324)

 今では「映画」は「テレビ」に取って代わられたが、「3S政策」は今なお健在である。大衆は、テレビを見ることによって骨抜きにされてしまっている。最近は、若者のテレビ離れが進んでいるとも言われるが、テレビがネット動画に取って代わられただけだ。いずれにせよ、視覚情報を鵜呑みにし、考える力が衰弱している。メディアを主体的に読み解く力「メディアリテラシー」が身に付き、備わっていないということだ。

 主体的に物事を判断する責任感と能力を持たぬ人間を「子供」と称するのなら、今の世の中は、大人になりそこなった「子供」で溢(あふ)れかえっている。

《第2次世界大戦の前夜、オランダの文明史家であるホイジンガは、当時のヨーロッパ文明が「小児病」化している、と言った。人々は、たやすく満足を得るべく即席の気晴らしに精を出し、粗野で大げさなものに引かれ、壮大な見せ物に拍手を送る》(佐伯啓思「幼児化が招く文化の喪失 ジャニーズ問題から考える」:2023年7月14日付静岡新聞

心理的にさらに深いところに基礎をおいた特質で、これまた同様に小児病と名づけることによって最もよく把握することのできるものには、ユーモアの感覚が欠如していること、反感を秘めた言葉に対して、いや時には愛情をこめた言葉に対しても、誇張的な反応の仕方をすること、物事にたちまち同意してしまうこと、(他人)に悪意ある意図や動機があったのだろうと邪推して、それを押しつけてしまうこと、(他人)の思想に寛容でないこと、褒めたり、非難したりする時、途方もなく誇大化すること、自己愛や集団意識に媚(こ)びるイリュージョンにとり憑(つ)かれやすいこと、などがある。

これら小児病的特徴の多くは過去の各時代の中にも夥(おびただ)しく見出されるものではあるが、何といっても、今日の公共生活の中に拡まっているように、それが膨れあがってマス化したり、残酷さと結びついたりしたことはなかった》(J・ホイジンガホモ・ルーデンス 人類文化と遊戯』(中央公論社高橋英夫訳、p. 340)

 ホイジンガがこれを発表したのは、第2次大戦前1938年のことであった。が、ここに挙げられた大衆の特徴は、今なお顕在である。【続】

「ジャニーズ問題」から考える社会の小児病(1/3)

今回は、周回遅れではあるが、「ジャニーズ問題」を取り上げる。今更ながらこの問題を取り上げるのは、佐伯啓思氏のコラムを目にしたのが切っ掛けだ。

 そもそもの問題は、故ジャニー喜多川氏によるジャニーズ事務所所属タレントへの「性的加害」である。が、ジャニー氏が亡くなってからこれが問題となったのは何とも味が悪い。勿論、生前このようなことを告発しても、もみ消されるのが落ちであろうし、少なくとも芸能界に居られなくなってしまうであろうから、普通は躊躇(ちゅうちょ)するに違いない。が、相手が死亡し反論できない状態になって、一方的で検証不能な意見を述べるのは、潔くないと言われても仕方がない。

 もともとジャニー氏には、この手の噂が囁(ささや)かれていた。だから被害者とされる少年たちが何も知らなかったわけではないだろう。芸能界で伸(の)し上がるにはジャニー氏の後ろ盾が必要だ。だから危険を承知の上でジャニーズ事務所に入ったのではなかったか。

 が、ここで私は、この問題自体を追及したいわけではない。そもそも詳しい事情は、当事者にしか分からないのだから外野がどうのこうの言っても仕方ない。関心があるのは、佐伯氏が指摘する社会の幼稚化の問題の方である。

《ジャニーズ問題の背景には、10代半ばの少年、少女を人気タレントに仕立て上げ、そこに利益を生み出すという、わが国のエンターテインメント文化の現状がある。
 「かっこいい」「かわいい」がもっぱらの価値基準となり、商品価値が生まれれば、テレビなどのメディアもそれを後押しする。大人たちが、少年・少女たちにこびを売り、そのくせ、彼らをだしにして稼ごうとする。
 こうして、少年・少女たちが市場の舞台にのせられ、社会や文化の主役になり、大人がそれに迎合する》(佐伯啓思「幼児化が招く文化の喪失 ジャニーズ問題から考える」:2023年7月14日付静岡新聞

 敗戦後、GHQは、日本が米国への復讐心を逞(たくま)しくせぬよう骨抜きにするために、「3S(Sport(スポーツ)・Sex(セックス)・Screen(映画))」政策を実行した。

シオン議定書の第9議定で彼等はこんなことを云つてゐる。「ユダヤ人以外の國民に我々の諸原則を適用するに當(あた)つては、その原則を働きかける當(とう)の相手の國民性を充分に考慮に入れなければならぬ。我々の諸原則をそのまま適用すると云ふことは、我々流に敎育されてゐない國民に於(おい)ては、成功を齎(もたら)すことは覺束(おぼつか)ない。然(しか)し、愼重に仕事にかゝならば、極めて鞏固(きょうこ)な國民の性格でも、10年そこ/\で我々流に變(か)へて了(しま)ふことが出來る。斯(か)うなつた時我々は、既(すで)に我々に屈服してしまつてゐる諸國民の間に、新しい國民を1つ編入することが出來るのである」

 これがユダヤの1つの侵入方法である。この方針の下に彼等は3S政策を樹立したのだ。卽(すなわ)ちスクリーン(映畫(えいが))、セックス(性慾)、スポーツ(運動競技)と云ふ3つの麻醉藥を製造することに着眼したのである》(神田計三『覆面の敵 ユダの挑戦』(六合書院):国立国会図書館デジタルコレクション、p. 324)【続】