一燈照隅(池内の日記)

~天邪鬼(あまのじゃく)の独り言~

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■三木清『人生論ノート』論  5/2(1)「100分de名著」の偏見  5/8(2)幸福論を抹殺したカント  5/15(3)哲学書だからこそ難しい  5/22(4)偏見による幸福と成功の誤読  5/29(5)真の幸福と神  6/5(6)虚栄と虚無   6/15(7)神の怒を思へ! NEW

児童虐待防止について(1) ~「児童虐待の根絶」という空理空論~

安倍晋三首相は、1月28日の施政方針演説で次のように述べた。

子供たちの命を守るのは、私たち大人全員の責任です。

 あのような悲劇を二度と繰り返してはなりません。何よりも子供たちの命を守ることを最優先に、児童相談所の体制を抜本的に拡充し、自治体の取り組みを警察が全面的にバックアップすることで、児童虐待の根絶に向けて総力を挙げてまいります。

 <子供たちの命を守るのは、私たち大人全員の責任>、何と無内容な科白(せりふ)だろうか。当たり前のことをただなぞっているだけだから内容がないということもあるが、問題の発端となった東京都目黒区や千葉県野田市で起きた女児死亡事件は、大人が子供の命を守る責任を果たしていないというような話ではなく、親が子供を虐待することによって起こったものである。的外れの言葉をいくら並べても問題は解決しない。

 <児童虐待の根絶>という言葉も引っ掛かる。これは「核廃絶」と同様に、左寄り論者お得意の、現実を踏まえない「理想」に過ぎない。児童虐待をいかに減らすかを考えて手を打つのであれば分かるが、人間の本性に反して根絶を目指そうなどと本気で考えるとすれば、それは「狂気」にしかならないだろう。詰まるところジョージ・オーウェルが小説『1984』で描いた、市民のすべての行動が監視された統制社会とならざるを得ない。

《虐待をこれ以上放置することは許されないとして、児童福祉法児童虐待防止法の改正案が国会に提出された。

 大きな柱は親権者による「体罰の禁止」と児童相談所の強化である》(3月21日付産經新聞主張)

 「親の体罰」を禁止するとは博愛主義者には聞こえが良いであろうが、ではどうやって子供を躾(しつけ)ればよいのかという素朴な疑問が湧く。こう言えば、体罰がなくとも躾は出来ると反論する人が出てくるに違いない。が、それはおそらくよほど幸運に恵まれた特殊個別的な場合に限られるのであって、決して一般化することは出来ないと思われる。

 子供は言葉が未熟であり論理的に物事を捉えることが出来ない。したがって、言葉で教え諭(さと)すには自ずと限界がある。だから宥(なだ)めすかしながら、そして時として不本意ながらも「体罰」にも訴えて、試行錯誤と悔悟(かいご)を繰り返しながら「躾」を行うのだと思われる。

 「体罰」がないに越したことはない。そして中には、体罰なしの子育てが成功することもあるにはあるだろう。が、多くの親が子供に本気で向き合う中で、いくら言っても子供が言うことを聞かないという究極の場面において、「必要悪」としての体罰が認められることもなくはない、私はそう思うのである。【続】

兵庫明石市長選:暴言泉氏再選について

《部下への暴言問題で前市長が辞職したことに伴う出直し兵庫県明石市長選が17日投開票され、前職の無所属泉房穂氏(55)が、元職、新人の三つどもえを制し、3度目の当選を果たした。泉氏は、謝罪を続けることで暴言問題への批判をかわす一方、手厚い子育て政策による人口増など2期8年弱の実績が評価された》(3月17日付神戸新聞NEXT)

 「これで禊(みそぎ)は済んだ。これまでのことは水に流して、前向きに市政を運営していけばよい」ということになるのだろうか。

「綸言(りんげん)汗のごとし」(皇帝が一旦発した言葉は取り消したり訂正したりすることができない)

と言う。「火、つけて来い」などと一度口にしてしまった言葉はなかったことに出来ないということである。

 暴言には続きがあり、「市民の安全のためや」とか「私が土下座でもしますわ」などと言ってはいる。が、これらの言葉が暴言を相殺(そうさい)するわけではない。暴言は暴言でも犯罪を指示するような言葉を立場ある人間が発してしまってはすべてが「おじゃん」である。

 明石市民は、泉氏には実績があるのだから多少の暴言は大目に見ようと判断したということなのであろう。勿論、人それぞれ色々な考えがあるのだろうけれども、そう取るより仕方ない。が、やはり私は腑に落ちない。否、私が腑に落ちようが落ちまいがどうでもいいことなのであろうが、暴言が許されないとして引責辞任した泉氏をわざわざ市民が担ぎ出し再選させたことの意味を今一度考えておく必要もあるだろう。

 暴言の責任を取って辞職した。が、市民の嘆願もあって選挙に問うことにした。その選挙で信任を得た。

 が、果たして「選挙」はすべてを帳消しに出来る「魔法の杖」なのか。はたまた選挙民はすべてをチャラに出来る「神」なのか。市民が良いと言えば良いなどという考えは危険である。それはヒトラーを持ち上げたドイツ国民と変わらない。

《泉氏は選挙戦で「選挙結果にかかわらず、人として許されない」とおわび行脚を展開。一方で、6年連続の人口増など地域活性化の実績をアピールし、「子ども施策の充実で生まれた好循環を、ほかの分野にも広げる」と訴えた》(同)

 本当に<人として許されない>と本人が思っているのであれば、市長選に立候補するのはおかしくないか。

《泉氏が進めてきた子育て支援や社会的に弱い立場の人に配慮した施策への評価と期待の大きさが、暴言問題への批判を上回ったといえる。謝罪に徹した選挙戦術も奏功したようだ》(3月19日付神戸新聞社説)

 他の候補者が他の争点を生み出せず、実質的には泉氏の信任投票のような選挙にならざるを得なかったということなのであろう。そして泉氏が選ばれた。市民がそれで良ければ良しとするしかないのだけれども…

難航する英EU離脱について(3) ~守るべき英国政治の伝統~

right now, parliament faces a choice between the impossible — no deal — and the horrible — the prime minister’s deal. If accepted, the latter would be followed by years of painful trade negotiations, with, at present, no agreed destination. At the end, the UK would be worse off than under membership of the EU. Its people would be as divided and dissatisfaction would remain as entrenched as they are today. Is there a better way than this? Yes. It is to ask, once again, whether the people want to leave, now that the reality is clearer. There should be a second vote.

Some will argue that this would be undemocratic. Not so. Democracy is not one person, one vote, once. If democracy means anything, it is the right to change a country’s mind, especially given the low and dishonest referendum campaign. ― The Financial Times, February 27, 2019

(今や議会は不可能な―無協定―と身の毛のよだつ―首相の協定―との二択に迫られている。もし受け入れられれば、後者は現在、合意された目的地のない、痛みを伴う貿易交渉が何年も続くことになるだろう。結局、英国はEU加盟時よりも暮らし向きが悪くなるだろう。国民は割れ、不満は今日と変わらぬままだろう。これよりも良い方法があるのだろうか。ある。それは、今や現実がよりはっきりしたのだから、国民が離脱を望むのかどうかをもう一度問うことである。再投票すべきだということである。

 こんなことをすれば、非民主主義的なことになるだろうと主張するものもいるだろう。そうでもない。民主主義は一人一票一度きりのものではない。民主主義がどんなことをも意味するなら、それは国の考えを変えさせる権利である。特に、低級で不正な国民投票キャンペーンだったとすれば)

 現実ではなく主体性の問題である。自分たちの思うように国を運営したいのなら離脱すべきであるし、EU諸国との協調を優先するというのなら離脱しない。それだけのことではないか。

《過ちてはすなわち改むるにはばかることなかれ、である》(316日付東京新聞社説)

と離脱があたかも<過ち>であるかのように社説子は決め付けているようだが、過ちなのは離脱ではなく、国民投票の結果、離脱が選択されたにもかかわらず、離脱条件がまとまらないことにある。

 もしこれが英国型民主主義の<過ち>なのであれば、英国は民主主義を改め「独裁制」を敷けばよい。そうすればあっという間に離脱条件が決まるだろう。

 離脱が過ちだということでもう一度国民投票に掛け、残留となったとしても、それはまた過ちだということになって、再度国民投票に掛けるなどという「いたちごっこ」にならないとも限らない。

 1月21日、メイ首相はEU離脱に関し下院で次のように述べた。

I have set out many times my deep concerns about returning to the British people for a Second Referendum. Our duty is to implement the decision of the first one.

I fear a Second Referendum would set a difficult precedent that could have significant implications for how we handle referendums in this country

(私は、英国国民を再び国民投票に戻すことについて深い懸念を何度も述べてきました。私たちの義務は最初の決定を実行することです。

もう一度国民投票をすれば、この国でどのように国民投票を取り扱うのかということに重要な影響を与えかねない困難な先例を作りかねません)

 もう一度国民投票に諮(はか)ることも選択肢の一つではあろうが、「角を矯(た)めて牛を殺す」ことにならないように妥協点を見出すこともまた必要なのではなかろうか。【了】