一燈照隅(池内昭夫の日記)

~天邪鬼(あまのじゃく)の独り言~

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■三木清『人生論ノート』論  5/2(1)「100分de名著」の偏見  5/8(2)幸福論を抹殺したカント  5/15(3)哲学書だからこそ難しい  5/22(4)偏見による幸福と成功の誤読  5/29(5)真の幸福と神  6/5(6)虚栄と虚無   6/15(7)神の怒を思へ! NEW

陛下の政治的発言とマスコミのその政治利用(2) ~左寄り新聞の恣意的憲法解釈~

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

憲法尊重擁護義務といわれる重要な規定ですが、大切なのは、この一文に「国民」の文字がないことです。これは日本国憲法が社会契約説に立っているからです。

 世界史を見れば、政府は暴走する危険が常にあります。だから、憲法を守るよう命ぜられているのは政府であり、権力を行使する人だけなのです。権力を暴走させない役割が憲法にはあるのです。

 天皇もその一人です》(1月4日付東京新聞社説)

 日本国憲法が<社会契約説>に立っているから国民には憲法尊重擁護義務はないなどというのは屁理屈以外の何物でもない。

《本條(=第99条)が國民をあげていないことは、國民のこの憲法を遵守する義務を否定したのでないことは、言を俟(ま)たない。殊更(ことさら)に國民をあげなかつたのは、公務員が直接に憲法の運用に接觸(触)するため、それらに憲法を尊重し擁護することを求める特別の理由があるのみならず、この憲法自體(体)が、前文で明言するごとく日本國民が確定したものである、従つて、制定者であり、主權者である國民が、國家の根本法たる憲法を尊重し擁護しなければならないことは、理の當(当)然であつて、自ら最高法規として定立したものを、制定者自身が、破壊することを豫想するのは、自殺的行為といわねばならないであろう》(『註解日本國憲法 下』(有斐閣)、pp. 1495-6)

 世界史を見れば、なるほど政府が暴走する危険もあるだろうが、同時に民衆が暴走する危険もある。民衆が、自分たちが暴走する危険を棚に上げ、政府が暴走する危険だけ言挙(ことあ)げし、これを憲法で縛ろうとするのはあまりにも虫が良過ぎる話である。実際、「革命」を起こしたのも、「ヒトラー」を作り出したのも、民衆の熱狂であった。

 東京社説子の天皇に対する無理解も悲しいものがある。天皇には「権威」はあれども「権力」はない。これは鎌倉時代以来の伝統である。明治時代が天皇を政治利用したため、天皇に何か「権力」があるかのような誤解が生じてしまったが、「天皇は君臨すれども統治せず」でしかなかった。

 つまり、天皇憲法で縛る必要など元からないのである。否、天皇という存在は、悠久の歴史を礎(いしずえ)とした伝統的存在なのであり、憲法などという俗世の「決め事」で縛ることなど出来るわけがないと考えるのが、先達から受け継がれてきた「經國濟民」の「智慧」なのではないだろうか。【続】

陛下の政治的発言とマスコミのその政治利用(1)

先日も私は陛下は政治的発言をなされるべきではない旨を本ブログに書いた。それは御発言が「政治利用」されかねないからである。

 平成元(1989)年1月9日、今上陛下は、皇居宮殿で行われた即位後の「朝見の儀」において次のように述べられた。

大行天皇崩御は,誠に哀痛の極みでありますが,日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより,ここに,皇位を継承しました。

深い悲しみのうちにあって,身に負った大任を思い,心自ら粛然たるを覚えます。

顧みれば,大行天皇には,御在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され,激動の時代にあって,常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ,今日,我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し,平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。

ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません」

 <日本国憲法を守り,これに従って責務を果たす>。国民なら問題はない。が、天皇は違う。天皇日本国憲法に縛られてはならない。もしも日本国憲法を守ることが日本の伝統に背くとすれば、天皇はたとえ日本国憲法に背くことになったとしても伝統に寄り添わねばならない。なぜなら天皇の存在の拠り所は伝統にあるからである。

 天皇憲法が制定される前、遥か昔から存在してきた尊い存在である。にもかかわらず、国民の総意によって天皇を置いてかのように憲法に規定するのは「不敬」の極みではないか。

 我々日本人は戦後70有余年にわたってこの冒涜(ぼうとく)を看過してきた。天皇の存在の根拠が伝統であろうと憲法であろうと与(あずか)り知らぬ国民がほとんどなのであろう。

 が、「国民の総意」などという気分次第の基準では、いつ何時天皇制廃止論が持ち上がらないとも限らない。天皇制は必要か不要かなどといった不遜な世論調査が繰り返して行われるなどというおぞましい事態にもなりかねない。

天皇憲法を守ることは当然です。憲法99条で「天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ(う)」と定められているからです》(1月4日付東京新聞社説)

 隙あらば天皇制廃止を唱えたいと思っているのであろうから、東京新聞がこのように言うのは至極当然のことではある。【続】

御代替わりと新元号(3) ~伝統に優先する「国民生活」~

《平成改元の際は、昭和天皇が逝去し、天皇陛下が即位された後に元号の制定手続きが行われたため、一部混乱を招いた。

 事前公表に踏み切る理由を、安倍晋三首相は「国民生活への影響を最小限に抑える観点から」と説明する。「国民がこぞってことほぐことができるよう政府として全力を尽くす」と言うのなら、準備期間をもっと長く取るべきではなかったか》(1月8日付神戸新聞社説)

 確かに、「国民生活への影響」が優先されるのであれば、もっと早く元号を発表することも出来た。要は、世間の顔色を見て「落し所」を探った結果が4月1日の発表ということになったのだろうと思われる。

《2017年に退位特例法が成立した頃は18年夏の公表が有力視されていた。迷走したのは、新天皇による新元号公布に固執した保守系団体や自民党議員らが異を唱えたためだ。

 一部保守派には天皇元号は「一体不可分」との考えがあるという。安倍首相はそうした層の支持が厚く、調整に腐心したとされる。最終的に準備期間を1カ月とし、今の天皇陛下による事前公布と新天皇即位時の改元で折り合った》(同)

 天皇をこのような政治的綱引きに巻き込むべきではない。要は、準備不足だったのである。いずれは何某かの答えを出さなければならない皇室の問題を先送りにしてきた結果、試験の前日に「一夜漬け」の勉強で間に合わせるかのような政治決着となってしまったのだと思う。

自民党内には「新天皇の即位後に新元号を公表するのが筋だ」との反対論があった。事前に発表するにしても、新元号を定めた政令の署名と公布は、新天皇が行うべきだ、と主張した。その場合、改元は5月2日となる》(1月8日付読売新聞社説)

 「国民の生活が第一」と言っていたのは今は無き民主党であったが、今回の新元号前倒しも、同じ考え方に立つものだと思われる。産經ですら同様の認識である。

《コンピューターが発達した時代に、譲位に伴う改元があるのは初めてだ。円滑な国民生活のため、5月1日の新天皇即位より前に新元号が示されるのは望ましい》(1月3日付産經新聞主張)

 確かにこれは現行憲法の精神に合致するものである。天皇の存在は国民の総意に基づくものであるから、国民の生活が最優先されるのも宜(むべ)なるかな(仕方のないこと)である。

 が、それでいいのであろうか。戦後日本は、憲法に規定されることで天皇が存在するがごとき倒錯を認め続けてきた。が、天皇ははるか昔から日本に存在し続けてきたのである。万世一系の伝統よりも「国民の生活」を優先するがごとき「錯誤」に納得がいくわけがない。

 が、過去から御輿(みこし)に載せて運んできた「輿論」(public opinion)ではなく、現在の気分次第で猫の目のように変わる「世論」(popular sentiments)が世の中を闊歩(かっぽ)する大衆民主主義の世の中では何を言っても無駄である。

元号は、内閣が政令で定める。利便性よりも、伝統や手続きにことさらにこだわり、トラブルが生じれば、和暦よりも西暦を使う「元号離れ」が一層進むのではないか。新元号が国民生活に親しまれない恐れさえあるだろう》(同、読売社説)

 熟(つくづく)読売は戦後日本を象徴する世俗的な新聞だなあと思う。【了】