保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

戦後80年の首相所感について【最終回】(7)スパイ防止法制定こそが本当の「歴史の教訓」

対米戦を考えていた永野と考えていない東条は同列に扱えない。それどころか驚くなかれ、開戦当時首相であった東条が真珠湾攻撃作戦について知ったのは12月1日の御前会議後であったらしいのだ。つまり、真珠湾攻撃は、御前会議に諮(はか)られることなく海軍の独断で実行されたということだ

 東京裁判の東条への尋問録に次のようなやりとりが見られる。

キーナン検事「あなたはこの御前会議において艦隊が真珠湾攻撃をするため進行中であったことを知ったか、然(しか)りとか否(いな)とか答えて下さい。」

東条「それは否と答えましょう。」

 「それでは最初に知ったのはいつか。」

-答「イエスとかノーで答えるというのはツライです。御前会議においては真珠湾攻撃云々(うんぬん)ということは出ていなかったのです。それで私は否と答えた。」

 「それでは御前会議において作戦部隊が合衆国あるいはその領土を攻撃のため出動中であるということが明らかにきれたか。」

-答「そういう作戦に関する具体的なことは御前会議、連絡会議において採り上げられませんでした。そういうことは統帥部から提案すべきものではないのです。」

 (裁判長、いつ最初に真珠湾が攻撃されることになっていることを知ったか、と質問)

-答「16年12月の1日か2日でしたか、日付ははっきりしませんがその辺のところです。」

――『東京裁判 中巻』(東京裁判刊行会)、p. 948

 これは何を意味するのか。やはり対米戦をやりたがっていた海軍がコミンテルンの影響を受けていたと考えるのが妥当であろう。

 陸軍は、石油を確保するための大東亜戦争を考えていた。一方海軍は、本来相手にすべきではない米国との太平洋戦争を考えていた。米国を巻き込まなければ、日本は圧勝した可能性すらある。大都市絨毯爆撃もなければ、原爆投下もなかった。米国を巻き込んだがゆえに日本は敗北を喫することになってしまった。

 もっと言えば、南進政策ではなく、ソ連の南下を封じる北進政策を敷いていれば、石油問題も起こらず、大東亜戦争の必要すらなかったかもしれない。これもひとえに、南進政策へと誘導した尾崎秀実やゾルゲといったスパイの問題である。

 海軍が秘密裏に対米戦を計画し実行に移したのは不可解極まりないことだ。やはり、コミンテルンスパイの暗躍なしに考えることは不可能である。

 翻(ひるがえ)って、今の日本はどうか。高市女史がスパイ防止法を制定する必要性を訴えるのに対し、公然と反対する人達がいる。スパイ防止法制定に反対する人達は、やはりスパイと繋がっていると考えるしかない。つまり、「文民統制」よりもはるかに大事なのは「スパイ防止法」を今すぐ制定することである。それこそが本当の意味での「歴史の教訓」なのではないか。【了】

戦後80年の首相所感について(6)薄っぺらな「合理的判断」

「責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、『相当の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません』、『戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である』と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、『人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ』と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません」

 もう少し詳しく引用部分を見ておこう。

《時機を逸して数年の後に自滅するか、それとも今の内に国運を引き戻すか、手術を例に説明申上ぐ。また7-8分の見込があるうちに最后の決心をしなければならぬ、相当の心配はあるも、この大病を直すには大決心をもつて国難排除に決意する外はない。将来の活路を開くための決意が必要である。独逸軍の「ノルウェー」上陸の例もあり、思ひ切るときは思ひ切らねばならぬと思ふ》(「田中新一中将回想録」:『戦史叢書 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4』(朝雲新聞社)、p. 542)

 永野言っている「大病」とは何か。「大病」が単に米国ではなく、資本主義体制そのものであって、共産主義革命のためには、徹底して資本主義国同士がかみ合わねばならないということなのだとしたら、このような取って付けた正論を吐くことも理解できよう。永野が敗戦革命論者であると言い切る証拠はない。が、そのような流れの中で、対米戦が開かれたと考えるしか、開戦理由がないということだ。

 また、永野は、平和交渉が決裂すれば開戦も止む無しと確認された9月6日の御前会議において、次のように挨拶している。

《戦わざれば亡国と政府は判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失つた真の亡国であり、最後の一兵まで戦うことによつてのみ死中活路も見出し得るであろう。戦つてよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ遺れば我等の児孫は再起三起するであろう。戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである。そして最後迄戦い抜くであろう》(福留繁『海軍の反省』(日本出版協同)、pp. 90-91)

 国力差が圧倒的な米国とは出来れば戦いたくないのが普通であろうが、とにかく永野は戦争したくてしたくて堪らない。まるで資本主義国同士を戦わせて疲弊させ、共産主義革命に持ち込みたいかのように。【続】

戦後80年の首相所感について(5)薄っぺらい綺麗事

「政治は常に国民全体の利益と福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません」

 が、言うまでもなく政治には、長期的な視点だけではなく、短期、中期的視点も重要である。また、長期的な視点と言うものの、視線の先に何を見るのかにまったく触れずにこのようなことを言っても空虚でしかない。つまり、短期であれ、中期であれ、長期であれ、視線の先に何がしかの国家観が必要だということである。宰相には確固たる国家観なければならないと思うのであるが、石破氏からそのようなものを感じたことはない。たとえ漠然としたものであれ何がしかの国家観がなければ長期的な視点など有ち様(もちよう)もないことからすれば、石破氏の言っていることはただの空想でしかないということだ。

 また、「国民全体の利益」というのも引っ掛かる。国民の中には右を向いている人もいれば、左を向いている人もいる。だとすれば、何をもって国民全体の利益というのであろうか。例えば、移民政策において、移民を入れることが国民全体の利益になるのかならないのかは何をもって判断するというのであろうか。ここで詳しく議論することは避けるが、簡単に言えば、国民全員を満足させるようなものはない。では、国民全体の利益とは何か。否、そもそも国民とはどのような人々のことを指すのか。今を生きる日本人を国民と称するのか、過去を生きた死者も含めて国民と称するのか、はたまた、未来に生れる未者も含めて国民と称するのかによって、話はまったく異なってくるだろう。おそらく「国民全体の利益」などという発想は、全体主義的な話でしかない。中央政府が指し示す「利益」が「国民全体の利益」ということになって、国民に選択の余地は与えられないに違いない。

 「政治は…合理的判断」というもの気に懸かる。世の中は、すべて合理的に判断できるわけではない。否、合理的に判断できないからこそ政治というものが必要となってくるのである。にもかかわらず、「政治は…合理的判断」などというのは、石破氏が政治の本質を理解していない証拠であろうと私は思ってしまうのだ。石破氏は、政治というものの本質が分かっていない。それがこの1文から看(み)て取れるということだ。【続】