「責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、『相当の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません』、『戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である』と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、『人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ』と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません」
もう少し詳しく引用部分を見ておこう。
《時機を逸して数年の後に自滅するか、それとも今の内に国運を引き戻すか、手術を例に説明申上ぐ。また7-8分の見込があるうちに最后の決心をしなければならぬ、相当の心配はあるも、この大病を直すには大決心をもつて国難排除に決意する外はない。将来の活路を開くための決意が必要である。独逸軍の「ノルウェー」上陸の例もあり、思ひ切るときは思ひ切らねばならぬと思ふ》(「田中新一中将回想録」:『戦史叢書 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯 4』(朝雲新聞社)、p. 542)
永野言っている「大病」とは何か。「大病」が単に米国ではなく、資本主義体制そのものであって、共産主義革命のためには、徹底して資本主義国同士がかみ合わねばならないということなのだとしたら、このような取って付けた正論を吐くことも理解できよう。永野が敗戦革命論者であると言い切る証拠はない。が、そのような流れの中で、対米戦が開かれたと考えるしか、開戦理由がないということだ。
また、永野は、平和交渉が決裂すれば開戦も止む無しと確認された9月6日の御前会議において、次のように挨拶している。
《戦わざれば亡国と政府は判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失つた真の亡国であり、最後の一兵まで戦うことによつてのみ死中活路も見出し得るであろう。戦つてよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ遺れば我等の児孫は再起三起するであろう。戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである。そして最後迄戦い抜くであろう》(福留繁『海軍の反省』(日本出版協同)、pp. 90-91)
国力差が圧倒的な米国とは出来れば戦いたくないのが普通であろうが、とにかく永野は戦争したくてしたくて堪らない。まるで資本主義国同士を戦わせて疲弊させ、共産主義革命に持ち込みたいかのように。【続】