保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

8月15日「終戦記念日」社説を読む(23)北海道社説その1

 日本でも朝鮮半島や台湾周辺の緊張の高まりを背景に防衛力の増強が図られている。戦前の軍備拡大路線の轍(てつ)を踏むことになりはしないか。懸念は拭えない。(北海道社説「終戦から78年 軍拡の道歩んではならぬ」)

 <戦前の軍備拡大路線の轍>とは何か。

 近代日本は軍事力増強の歴史だった。その結果、国家を戦争へと傾斜させ、国を破滅させたことを忘れてはなるまい。(同)

 戦前、日本は軍備拡大し、戦争へと走った。つまり、根底には夜郎自大な「侵略欲」があったという歴史観なのだろう。

東京裁判史観」では、日本は侵略戦争を行ったということになっているが、一体日本はどこに侵攻し、何を略奪したというのだろうか。太平洋戦争で米国の何を奪ったのか。シナ事変は、「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)、すなわち、暴虐なシナを懲(こ)らしめることを目的としたおかしな戦いであった。亜細亜においても、日本は亜細亜を植民地化し搾取していた欧米列強と矛(ほこ)を交えたのであって、亜細亜を侵略したわけではない。

 シナ事変さえ終息させられないにもかかわらず、さらに亜細亜に戦域を広げ、欧米列強と戦うということでさえ尋常とは思われないのに、さらに米国とも同時に戦うなどというのは精神が錯乱したとしか思われない。これを説明できるのは、コミンテルンの「敗戦革命論」だけである。

 日米が実際に衝突する遥か前の1920(大正9)年12月6日に、レーニンは次のような演説を行っている。

《こんにちの資本主義世界には、利用すべき根本的対立があるであろうか? 3つの基本的な対立がある。私はそれをあげてみよう。第1の、われわれにもっとも近い対立――それは、日本とアメリカの関係である。両者のあいだには戦争が準備されている。両者は、その海岸が3000ヴェルスタもへだたっているとはいえ、太平洋の両岸で平和的に共存することができない。(『ロシア共産党(ボ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説』:『レーニン全集』(大月書店)第31巻、p. 449)

 <利用すべき根本的対立>とは、「対立」を利用しようということ、つまり、資本主義国同士の対立を煽り、戦わせ、疲弊させて、自分たちが漁夫の利を得ようということである。

《この競争が彼らの資本主義の関係から生じてくることは、争う余地がない。将来の日米戦争という問題をあつかった膨大な文献がある。戦争が準備されつつあること、それが避けられないということ、このことには疑いの余地はない。平和主義者はこの問題を回避し、きまり文句でそれを塗りつぶそうとつとめているが、経済的諸関係と外交の歴史を研究しているすべてのものには、戦争が経済的に成熟しており、政治的に準備されつつあることは、一点の疑いもありえない。この問題をあつかったどの本をとってみても、戦争が成熟したことを見ないわけにはいかない》(同)