保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

8月15日「終戦記念日」社説を読む(1)朝日社説その1

日本は「アジアの民族に自由を与え、自由を保護する地位」にある――。重光は当時、手記にそう書きつけた。

 41年8月に英米首脳が発表した「大西洋憲章」が、各国の自由、すべての人々の解放を掲げたことへの対抗だった。少なくとも重光にとって、目下の戦争は「自由をめぐる戦い」という一面をもっていた。(朝日社説「戦後78年 日本と世界 自由を『つかみかえす』とき」)

 重光葵(しげみつ・まもる)は書く。

《第1次世界戦争は、明らかに民族解放の理由のために戦われ、欧州白色人種の間に在っては、実際バリ会議において民族自決主義が確認せられた。しかし、民族主義は欧州以外には及ばなかった。アジアは依然たる植民地であり、半植民地であった。第2次世界大戦は、アジア民族主義の確立せらるべき戦いであった。アジア民族は、この戦争を椒会に覚醒し、その解放復興のために奮闘すべきであった》(「重光葵著作集」(原書房):1 昭和の動乱:第8編 大東亜戦争(東条戦時内閣):大東亜新政策、p. 230)

 つまり、目下の戦争は、「自由をめぐる戦い」というような性質のものではなかったということだ。

《アジア及びアフリカが解放され、復興して、世界の平和に寄与してこそ、人類の進歩ということが出来得るのである。欧州諸国が、アジア及びアフリカを踏み台とし、搾取の対象とし、植民地扱いにする間は、世界の平和は確保することは出来ぬ。日本の戦争目的は、東方の解放であり、アジアの復興である。この他に日本は何等野心をもたない。これが、日本が大東亜戦争という戦争に突入して行った戦争目的であって、これさえ実現すれば、日本は何時でも戦争終結の用意があるというのが我が主張であった》(同)

 だが実際に起きたことは、全く異なる。戦前から統治した台湾や朝鮮半島、新たに戦場や占領地となった中国大陸や東南アジアのいずれにおいても、日本は自由を奪い、搾取し、筆舌に尽くしがたい苦難を強いた。(朝日社説)

 相変わらずの歴史認識だ。欧米諸国の植民地であった当時の亜細亜に「自由」などというものはない。シナ(China)はどうか。

《当時の中国は完全に「四分五裂」であり、国民政府、コミンテルンに指導された共産党、数多くの軍閥が入り乱れ、統一国家としての体(てい)をなしていなかった》(渡辺利夫「パル判決の意味をいま考える」:RIM 環太平洋ビジネス情報 11月号 Vol.9 No.35)

 「自由」を行使するには社会に「秩序」が必要である。が、当時のシナは混沌(こんとん)とした状態にあり、「自由」を行使できるような環境にはなかった。否、そもそもシナに「自由」という観念が存在するのか自体疑問である。それは今の共産主義体制を見ても分かることだ。