保守論客の独り言

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どうして「村山自虐談話」を取り消せないのか(1) ~歴史を政治的に決め付けるな!~

終戦の日の15日、村山富市元首相が「村山談話に託した想い」と題したコメントを公表した。曰く、

「『村山談話』は、中国・韓国あるいは米国・ヨーロッパなど、世界各国の人々や政府から、高い評価を受け続けているようで、光栄なことだと思います」

 日本を攻撃することに余念のない中韓から高い評価を受け続けているということは、むしろこの談話が日本のためにならないものであることを物語っていると言うべきだろう。

 村山氏の政治的頓珍漢さは次の逸話からも分かる。

《1994年(平成6年)8月、東南アジアを歴訪した村山富市首相に対して、マレーシアのマハティール首相が「日本が50年も前に起きた戦争を謝り続けることは理解できない」という趣旨のことを言われた…マハティール首相は「日本に対して、今さら戦後賠償を求めるようなことは、わがマレーシア国民にはさせない」ということも語ったという。

 このマハティール発言に対して、わが村山首相は、何の言葉も返せなかった。

 なぜなら、村山首相の東南アジア訪問の最大の目的は、これらの国々に対する「謝罪外交」であったからである。“日本の侵略戦争”のお詫びをするつもりで行ったら、相手から「過去の話は、もううんざりだ」と言われたのだから、社会党の村山首相が黙してしまったのも当然のことだ》(渡部昇一『かくて昭和史は甦(よみがえ)る』(クレスト選書)、p. 14)

「中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・ヨーロッパでも、日本の戦争を、侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は、全く、受け入れられるはずがないことは、自明の理であります」

 村山氏の言う<自明>とは「分の頭の中ではらかな」という意味でしかない。歴史はそんな単純なものではない。かの戦争が侵略戦争であったか否か、はたまた植民地解放戦争であったか否かといったことを一政治家が安楽に決め付けられるようなものではない。

 ビルマ(現ミャンマー)のバー・モウ元首相は自著に次のように書く。

The case of Japan is indeed tragic. Looking at it historically, no nation has done so much to liberate Asia from white domination, yet no nation has been so misunderstood by the very peoples whom it has helped either to liberate or to set an example to in many things. Japan was betrayed by her militarists and their racial fantasies. Had her Asian instincts been true, had she only been faithful to the concept of Asia for the Asians that she herself had proclaimed at the beginning of the war, Japan’s fate would have been very different. No military defeat could then have robbed her of the trust and gratitude of half of Asia or even more, and that would have mattered a great deal in finding for her a new, great, and abiding place in a postwar world in which Asia was coming into her own. ― Ba Mow, Breakthrough of Burma:Chap.6 The B. I. A. Period

(日本の場合は確かに悲劇的です。歴史的に見ても、白人の支配からアジアを解放するためにこれほど多くのことをなした国はないにもかかわらず、解放したり、あるいは、多くのことで範を示したりする手助けをしてあげたまさにその人々からこれほど誤解されている国もありません。日本は軍国主義者と彼らの人種的空想によって裏切られた。日本のアジア的本能が真実であったなら、日本自身が開戦時に宣言したアジア人のためのアジアという概念に忠実でありさえしていたなら、日本の運命はまったく異なっていたであろう。それならば軍事的に敗北したとしても、日本はアジアの半分以上の信頼と感謝を失わなかっただろうし、そのことは、アジアが真価を認められつつある戦後世界において、日本にとって新しくて偉大な不変の地位を見出す上で大変重要だったであろう)【続】