保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

8月15日「終戦記念日」社説を読む(2)朝日社説その2

 最後に、当時日本の統治下にあった台湾と朝鮮である。「両国」は、社会的に遅れていたからこそ日本の統治下に置かれることになったのであって、残念ながら「秩序ある自由」というものが存在し得る段階にはなかったと言うべきだろう。無い自由は奪えないし、搾取するどころか、日本の「持ち出し」であった。<筆舌に尽くしがたい苦難を強いた>などというのは、事実に基づかぬ得手勝手な「妄想」に過ぎない。

《目賀田財政顧問と統監府は、朝鮮の歳入不足分を補填(ほてん)するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助した。

 たとえば1907年度で、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上であったから、その差額は全額日本が負担した。1908年度には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出した。

 統監府時代の4年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にのぼった。

 そればかりではなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達している。現在の朝鮮・韓国の歴史では、日本の特恵的支援には一言も言及がなく、侵略だけを強調しているが、これがいかに偏狭な史観であるかを自覚しなければ、将来は開けない。

 1910年8月29日には、明治天皇から臨時恩賜(おんし)金として3000万円が与えられ、旧韓国が日本政府から借用していた2651万円は、そっくり棒引きにされた》(崔基鎬(チェ・ケイホ)『歴史再検証 日韓併合』(祥伝社黄金文庫)、pp. 21f)

 当たり前であるが、搾取しようとする国が逆に資金援助などするわけがない。また、資金援助しなければならないほど困窮している国から搾取できるものなどあるはずがない。

日韓併合後の補充金と称する日本政府の持ち出し(日本人の税金)は、1911年が1235万円で、それ以前の平均2500万円の半額に減った。これは残りの半分を日本政府発行の公債と、日本からの借入金で補っており、毎年日本から約2000万円前後を調達するという状況は変わっていなかった。

 これは朝鮮自体の税収入の倍額に及んでいる。

 つまり朝鮮は、財政の過半から3分の2を日本人の税金によって賄(まかな)った結果、ようやく近代化に向かって出発することができたのである》(同、pp. 22, 24)