保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(3)朝日社説その3

戦後、再出発した日本の自由と平和は、周辺地域の犠牲に支えられたといってよい。

 中国と対峙(たいじ)する台湾や北朝鮮と接する韓国は、冷戦の「防波堤」の役割を負わされ、自由は軽んじられた。米国を後ろ盾とする独裁政権が、異議を唱える労働者や学生らを弾圧した。(朝日社説)

 台湾や韓国とは隣国であるから、当然何某(なにがし)かの影響はお互いあるだろう。が、戦後日本の自由と平和が<台湾と韓国の犠牲>に支えられたとまで言うのは余りにも偏った、針小棒大な考え方と言うべきだろう。むしろ先に指摘されるべきは、台湾や韓国が今あるのは、戦前の日本統治の善政ゆえだということだ。インフラを整備し、教育に力を入れ、農業の生産高を増やし、結果として、人口は増加した。

 ところで社説子は、戦後日本に自由と平和が齎(もたら)されたことを有難いことだと思っているのであろう。多くの戦後日本人もまた同じ考えに染まっているに違いない。が、私は、戦後日本に見られるような無責任な自由の行使を否定するし、自らを自らが守る権利を憲法によって否定され、米国の子飼いとなって得られた隷属的平和など有難いとはゆめ思わない。

 そもそも「自由」とは戦後日本にGHQによって齎(もたら)されたものなのか。が、重光葵は戦中に、<日本は「アジアの民族に自由を与え、自由を保護する地位」にある>と手記に記したのではなかったか。

 自由が勝手なものとならないためには、そこには「秩序」が必要だ。つまり、求められる自由とは「秩序ある自由」ということだ。そして、秩序の源泉は、その国の歴史や文化にある。戦前の日本を否定することによって成立した戦後日本には、秩序の源たる歴史や文化がない。そこにあるのは、フランス革命へのあこがれだけである。つまり、庶民が奮然立ち上がり、抑圧された社会を打破して手に入れた「自由」である、というか、「自由の幻想」である。

《大革命はまもなく、さらに歩を進めた。「鬘(かつら)師、床屋、風呂屋に関する親方職、および他のすべての監督の親方職や技芸や商業の仕事の親方職、親方資格や親方会の認可状、薬剤師団体の認可状や、職業に関するすべての特権状は、いかなる名称のものであれ、廃止する。」

 1791年3月17日の法令の第2条は右のように規定している。この法令はピエール・ダラルド男爵の主導のもとに採択されたのだが、男爵は鉄工所主で、サン=ピエール=ル=ムスチエのバイイ管区の貴族から選ばれて憲法制定議会の議員となり、まことに善良な意図をもって8月4日の気違いじみた晩から結論を引き出したのだった。「誰であれ、よいと思われる交易、職業、技芸に携わる自由を有する」(第7条)。唯一の条件は営業税を払うことであった》(ルネ・セディヨ『フランス革命の代償』(草思社)、p. 86)

 皮肉交じりで言えば、これこそが究極の「職業選択の自由」である。