保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

8月15日「終戦記念日」社説を読む(4)朝日社説その4

自由には秩序がなければ成立しない。

《せいぜい、鬘(かつら)師か風呂屋なら、誰がなろうと客にとって大きな支障はないだろう。しかし、薬剤師や医者はどうだろう。もししかるべき大学を出る必要がなくなったら、患者はやぶ医者や偽医者の思いのままになってしまうだろう。でもそれが何だと言うのだ。平等とは資格とかエリートとかを廃止することではないのだろうか。国民公会は首尾一貫した態度をとり、医学部は無用だとしてこれを閉鎖した。

 革命家の新聞は、職業の自由を熱烈に歓迎した。しかしながらマラは、その『人民の友』(ラミ・ヂユ・プープル)紙において、危険を予見した。「各人が、その能力を試験されることなしに、勝手に職業に就(つ)きうることになる。ただの見習いがちょっと本をかじっただけで、金を手に入れようとするだろう。やがて、あらゆる職業、あらゆる取引が策略やペテンに変質してしまうだろう。それも、われわれは自由なのだという気分にちょっと浸ってみたい、というだけのために」と彼は説明している。少なくともこの点では、マラの言い分はしっかりしている。彼は医者の息子で(スペイン出身のサルデ=マラ家)、彼自身、ボルドーとパリで医学を勉強し、ロンドンで開業したこともあり、アルトワ伯の親衛隊付きの医者だった。貴族を死刑執行人の手に渡すのには積極的だった彼にも、患者を詐欺師の手に渡すのは、不条理だと思われたのである》(ルネ・セディヨ『フランス革命の代償』(草思社)、pp. 86f)

 日中戦争以来の戦没者が310万人を数え、各都市が焦土と化した日本の敗戦時の情景はウクライナに通じる。だが、侵略者としての日本の姿は、むしろ今のロシアに重なる。

 ロシアはウクライナ東部の親ロ派支配地域を独立国家として承認した後に全面的な侵攻を始めた。かつて日本軍は、かいらい国家「満州国」を中国侵略の足がかりにした。(朝日社説)

 日本がシナ事変の泥沼から抜け出せなくなった裏には、コミンテルンの陰謀が見え隠れする。

 コミンテルンのスパイ尾崎秀実は言った。

《日支事変が始まって以来既に8ケ月の月日が流れてしまった。

 戦争はなお引つづいているし、今のところいつになったら終るかということは誰にも見当がついてはいない。戦の今日までの跡を振りかえって見て深い感慨を覚えるのである。

 自分等の村には新らしい幾本かの墓標が立ち、幾人かの若き友人たちは大陸から永久に帰っては来ない。ふりかえって見ればいつの間にか自分の日常生活の様式にもはっきりと目に見える変化が生じている。

 だが戦に感傷は禁物である。目前日本国民が与えられている唯一の道は戦に勝つということだけである。その他に絶対に行く道はないということは間違いの無いことである。

「前進! 前進!」その声は絶えず呼び続けられねばなるまい》(「現代支那批判」2 日支時局批判 長期抗戦の行方:『尾崎秀実著作集第2巻』(勁草書房)、p. 94)

 ここには<戦に勝つ>とは何かについての哲学がない。ただ、前後の見境なく「進め!」と言っているだけの野蛮である。