尾崎秀実(おざき・ほつみ)は、如何なる思想の持主であったか。
《近来私の世界状勢判断の中心点をなして来たものは第2次世界戦争が不可避であるという点でありました》(『尾崎秀実集 第4巻』(勁草書房):上申書(1)、p. 297)
このように尾崎が考えるのは、多分にマルクス思想の影響がある。が、これは、資本主義の矛盾を戦争によって解消せんがために第2次大戦となるのは自然避けられないというよりも、第2次大戦を引き起こすことで資本主義社会を意図的に終わらせようするものであった。
《列強の盲目的な帝国主義角逐(かくちく)はその矛盾を結局大規模な戦争によって解決せんと試みざるを得ないであろう。しかもそれはその規模の深刻さによって列強自身の存在を根底から危くする如きものであるだろうと見たのであり、この際列強の混戦に超然たる地位を占めるであろうソ連の存在はその後に来るべき新状態を決定するに重要な地歩を占めるであろうと想像したのであります。私はソ連はあくまで平和政策を堅持すべきであると信じ、またソ連はそうするであろうと考えたのであります。
世界資本主義は完全に行きつまった。而(しか)してこの帰結は世界戦争でなければならない。而してその後に生れ出ずべきものは、当然共産主義社会でなければならないという、極めて抽象的かつ公式的な結論が殆んど信念ともいうべき私の予想であったのであります》(同)
また、尾崎は、次のようにも言っている。
《世界情勢の近年の発展は私の観点から一切充分に把握し得たと考えて居りました。一切が回避し難き世界戦争への途上を急ぐものと理解せられました。欧洲に於てはナチスの政権獲得、ドイツの再軍備、イタリーのエチオピア戦争、更にスペイン内乱等があり、東亜に於ては満洲事変以後における日本の対支進出の事実が刻々展開されました。
かくて私は昭和12年7月11日北支事変に対する日本の強硬決意が決定せられた時支那事変の拡大を早くも予想したのみならず世界戦争へ発展することを断定し、それのみか、私の立場からして世界革命へ進展すべきことをすら暗示したのでありました。(昭和12年8月号中央公論誌上に北支問題の重要性を論じ「今日我国人はこの事件の重大性に気付いては居ないであろうが、それは必ずや世界史的意義を持つ事態に発展するであろう」と述べたのは暖味な言葉でありますが自分としてはこの意味であったのであります。)
種々複雑なる経過を取りつつも事態の発展はまさに世界戦争へ到達しつつありました。その点までは見達しは正しかったということが出来るのであります》(同、p. 299)
自分でその方向に追い込んで行っておいて、<見通しは正しかった>などと言うのは図々し過ぎよう。