《79年前の12月8日、日本は米英両国に宣戦布告した。戦場は中国大陸から太平洋に広がり、1945年の敗戦に至る。以後「平和国家」の理念を掲げて歩んできた道をふり返り、足元を見つめ直す日としたい》(12月8日付朝日新聞社説)
<「平和国家」>とは何だろう。韓国に竹島を取られても力で取り返そうとはしない国ということなのか。ソ連・ロシアに北方領土を不法占拠されていても力で押し返そうとしない国ということなのか。北朝鮮に百人以上の日本人を拉致されていても力で奪還しようとしない国ということなのか。米国の思惑次第の「平和」を有難がっているのは「平和呆け」と言うしかない。
《不戦を守り続ける防塁になったひとつが、学問の自由を保障する憲法23条だ》(同)
<不戦>と<学問の自由>を関連付けようとするのは単なる「こじつけ」である。学者が折に触れ戦争の芽を摘んできたとでも言いたいのだろうか。
が、戦後日本が戦争に巻き込まれなかったのは<学問の自由>があったからなどという素っ頓狂な話ではなく、日米安保によって米国が睨みを利かせていたからに他ならない。
《真理を追い求める自由な営みから新しい発見や知見が生まれる。それが世の支配的な価値観と違ったり、時の政治権力にとって不都合な内容であったりしても、力で抑圧した先に社会の未来はない――。甚大な被害をもたらした戦争から、先人が学んだ教訓だった》(同)
戦前の教訓は何かと言えば、朝日をはじめとする新聞に「戦争を煽る自由」を与えてしまったことではなかったか。むしろ新聞が戦争を煽るから結果として学問が抑圧されてしまったとさえ考えられる。
朝日は、戦前は日本の国力を衰弱させようと不要な戦争を煽り、戦後は国威を高めさせないために自虐史観と平和を煽っている。つまり、「反日」という意味では戦前戦後一貫しているのである。
朝日新聞記者でもあったコミンテルンのスパイ尾崎秀実(ほつみ)は次のように述べている。
《吾々のグループの目的任務は、特にゾルゲから聞いた訳ではありませぬが、私の理解するところでは広義にはコミンテルンの目指す世界共産主義革命遂行の為、日本に於ける革命情勢の進展と、之に対する反革命の勢力関係の現実を正確に把握し得る種類の情報、並に之に関する正確なる意見をモスコーに諜報することにあり、狭義には世界共産主義革命遂行上当面最も重要にして其の支柱たるソ聯を日本帝国主義より防衛する為、日本の国内情勢殊に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し、且つ意見を申送ってソ聯防衛の資料たらしめるに在るのであります。
従って此の目的の為には凡ゆる国家の秘密等をも探知しなければならないのでありまして、政治外交等に関する国家の重大な秘密を探り出すことは最も重要な任務であり、軍事上経済上の秘密の探知も亦之に劣らず重要な任務として課せられて居たものであります》(『現代史資料2 ゾルゲ事件(二)』:五 検事尋問調書(第22回):(みすず書房)、p. 216)【続】