保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大飯原発許可取り消しについて(3) ~問題解決には核技術の向上が必要だ~

《福島の例を引くまでもなく、地震津波、火山噴火など、想定を上回る規模の災害が襲ってくる恐れは常にある。だからこそ、万が一にも事故があってはならない原発については、安全側に立って基準を定め、それに基づいて審査や規制に当たらなければならない》(12月5日付朝日新聞社説)

 いかにも尤(もっと)もらしく聞こえるが、言いたいことが2つある。1つは、福島第1原発事故は「想定内」と呼べるところも少なくなかったということである。津波被害の虞(おそれ)は国会でも事前に指摘されていた。それをもみ消したというのが本当のところではないか。東電の対応の不作為も、例えば、テレビドキュメンタリー番組『NHKスペシャル 原発メルトダウン 危機の88時間』を観ても酷いと言うしかない。

 そもそも米国から輸入された原子炉「MARK‐Ⅰ型」はポンコツの烙印を押された不良品であった。また、安全対策も日本に必要な津波対策仕様ではなく米国の竜巻対策仕様だった。そのため是が非でも守らねばならない非常用発電機が地下に置かれていたため水没し作動しなかったという問題もある。

 こういった問題が国会で公に討議され、それを踏まえて規制委が設置されるという手順を踏んでいるのなら、一定の信頼を置くこともまた可能なのであろうが、それがないのなら、信用することなど出来るわけがない。

 さらに、民主党菅直人政権の初期対応の過失を私は疑ってもいる。当初原子炉を廃炉にすべく米軍が冷却劑を提供する申し出があったのを菅首相(当時)は廃炉にするのがもったいないとして断ったという新聞報道があった。勿論、実際冷却劑が使え、メルトダウンを防げたのかどうかは今となっては知る由もないのだけれども、このあたりの経緯も秘匿されてしまっている疑いが濃厚である。

 原発の稼働はこのような疑惑にしっかり答えた上でなされるべきだというのが私の主張である。

 もう1つは、<安全側>というのが那辺(なへん)にあるのかは政治的判断というしかなく、安全に、安全にと言って「ゼロリスク」を求めるのは現実的ではないということである。「ゼロリスク」を求めれば、飛行機も飛べないし、車も走れない。コロナ禍下では、外出もできなくなる。リスクを事前に回避しようとするのは当然のことではあるけれども、回避し過ぎれば「角を矯(た)めて牛を殺す」ことになりかねないのである。

《国はエネルギー政策の長期的指針である「エネルギー基本計画」で原発を重要なベースロード電源と位置付け、安全を確認できた原発を再稼働させていく方針だ》(12月4日付日本経済新聞社説)

 ただ電力欲しさに原発を稼働するのだとすれば賛成できない。原発稼働は核技術の高度化という大きな使命があることを忘れてはならないのである。

 廃炉や核廃棄物処理といった原子力が抱えた課題は、核技術の向上によってしか解決できない。また、日本が世界最先端の核技術を持つことが、安全保障上非常に重要でもある。別稿を期したいと思う。【了】