保守論客の独り言

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大飯原発許可取り消しについて(2) ~司法にもたれ掛かる人達~

《判決のポイントは、平成23年の東京電力福島第1原発の過酷事故を踏まえて設置された原子力規制委員会が両機に対して行った耐震性の審査のプロセスに不合理な点があるとしている点だ。

 「規制委の調査審議および判断の過程には、看過しがたい過誤、欠落があるものというべきである」と断じている。

 具体的には、原発の敷地における地震の揺れを推定する計算式の用い方に対してのクレームだ。

 計算式から求められる解は、地震動の平均値であって、それを上回る揺れのばらつきの評価などが必要であるのに、それが欠落した規制委の検討は「審査すべき点を審査していないので違法である」と強い調子で論難している。

 だが、裁判長は原発の安全対策の基礎となる基準地震動の算定に当たって規制委が関電をはじめとする電力会社に求める厳しい要請を軽視していないか。

 規制委は電力会社が提示する断層の長さなどについて、より大きい地震動が推定されるように拡大設定を指示するのが常である。

 揺れのばらつき幅を包含する、さらなる安全重視の姿勢に立った慎重な審査がなされているとみるべきだろう。この現実から目をそらせた判決は問題だ》(12月5日付産經新聞主張)

 司法は法に則(のっと)って判断するのが本来であり、科学的次元の当否を素人判断するのは越権行為と言うべきではないか。まして、原発問題のような政治色が強い問題に深く踏み込んで、自らの政治信条を反映させたかのように受け取られかねない判決を下すのは以ての外と言うしかない。

 原発を稼働すべきか否かは謂(い)わば「国策」に関わることであり、本来国会でしっかり議論を煮詰める必要がある。にもかかわらず、「GO TO・桜・学術会議」に現(うつつ)を抜かし議論されないため、司法が政治領域にまで踏み込まざるを得ない状態になっているのはまったくもって不幸というより他はない。

 同様に科学技術者も司法に凭(もた)れ掛かってはいまいか。

大飯原発3、4号機に関しては、元規制委員長代理の島崎邦彦・東京大名誉教授(地震学)も「関電の計算式では、基準地震動が過小評価される恐れがある」と、別の訴訟の法廷などでも証言に立ち、訴えてきた》(12月7日付東京新聞社説)

 原発稼働反対派の学者が学会で侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論をするでもなく、科学素人の裁判官に科学的知見の当否を委ねるのもまたおかしな話である。

最高裁は平成4年、伊方原発訴訟の上級審判決で安全基準の適合性について「科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う行政側の合理的判断に委ねると解するのが相当である」との見解を示している。

 今回の大阪地裁判決は、原発の安全性そのものではなく、規制委という行政側の判断の瑕疵(かし)の有無に焦点を絞ったものだが、最高裁の考えの恣意(しい)的な否定と言わざるを得ない》(同、産經主張)​【続】​