保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

風化する太平洋戦争(6) ~レーニンの認識論~

《人々が日本を朝鮮の冒険に誘いこもうとしたとき、日本人はアメリカ人にむかってこう言った、「もちろん、われわれはボリシェヴィキに勝つことができる。しかし、諸君はその代りにわれわれになにをくれるつもりか? 中国をか? われわれはどっちみち中国をとるだろう。ところが、いまわれわれは、アメリカ人をわれわれの後方にひかえながら、ボリシェヴィキを討つため、一万ヴェルスタも進軍すべきなのか。いや、政治というものは、そんなふうにやるものではない」。

もし複線の鉄道があり、アメリカの輸送上の援助があったなら、当時すでに日本軍は数週間でわれわれを征服したことであろう。日本が中国を併呑(へいどん)する一方で、後方にアメリカをもちながら、シベリア全土を横ぎって、西方へ進撃することができなかったということ、そしてアメリカのために火中の粟をひろおうとしなかったということ、このことがわれわれをすくったのである。もし帝国主義列強が戦火をまじえていたなら、この情勢はわれわれにもっと大きな救いをもたらしたであろう。

めいめいわれわれにむかってあいくちを研(と)いでいる資本主義的盗賊のような悪党どもを、いまわれわれががまんしていなければならないとすれば、われわれの直接の義務は、彼らがこれらのあいくちを仲間同士で突きつけ合うようにさせることである。ふたりの盗賊が格闘するときには、正直な人々は得をする》(「ロシア共産党(ポ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説」:『レーニン全集第31巻』(大月書店)、p. 455

 言っていることは滅茶苦茶であるが、要は、資本主義国家同士を戦わせて漁夫の利を得ようということである。

レーニンの戦略論から、戦争そのものについて言へば、共産主義者が戦争に反対する場合は帝国主義国家(資本主義国家)が、世界革命の支柱たるソ連邦を攻撃する場合と、資本主義国家が植民地民族の独立戦争を武力で弾圧する場合の二つだけで、帝国主義国家と帝国主義国家が相互に噛み合ひの戦争をする場合は反対すべきではない。いな、この戦争をして資本主義国家とその軍隊の自己崩壊に導けと教へてゐる。

 レーニンのこの教義を日華事変と太平洋戦争に当てはめてみると、共産主義者の態度は明瞭となる。即ち、日華事変は、日本帝国主義蒋介石軍閥政権の噛み合ひ戦争であり、太平洋戦争は、日本帝国主義と、アメリカ帝国主義及イギリス帝国主義の噛み合ひ戦争と見ることが、レーニン主義の立場であり共産主義者の認識論である。したがって、日華事変及太平洋戦争に反対することは非レーニン主義的で共産主義者の取るべき態度ではない--と言ふことになる。事実日本の忠実なるマルクス・レーニン主義者は、日華事変にも太平洋戦争にも反対してゐない。のみならず、実に巧妙にこの両戦争を推進して、レーニンの教への通り日本政府及軍部をして敗戦自滅へのコースを驀進(ばくしん)せしめたのである》(三田村武夫『太平洋戦争とスターリンの謀略』(自由社)、pp. 35-36【了】