保守論客の独り言

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後藤新平の「政治倫理化運動」について(5) ~スターリンの掌の上で踊らされた後藤新平~

後藤新平は、まさに「聖人君子」の見本のような人である。が、こういう人に限ってコロッと騙(だま)される。

 1928(昭和3)年1月7日、共産党中央執行委員会にて後藤新平スターリンと会談を行った。

後藤 支那の政情は益(ますます)混乱を重ねこの儘(まま)に放棄せば大乱の基となるべし貴兄如何(いかん)。

スターリン 支那問題解決の困難には3箇の原因あり。

第1は現在の支那には統一せる政権無く分離し居りて、一国の体を成さざること、

第2は外国が支那の実情を知らずして猥(みだり)にその内政に干渉すること、

第3は、支那国民が年来外国の圧迫欺瞞(ぎまん)に慣れて一種の妄想を生じ、外国が支那に対しいかなる政策をとるとも常に猜疑(さいぎ)心を以て之を視るようになりたり。

この第3点が支那問題解決のために最困難なる点にて従て我等が最注意すべき点なりと思惟す。

後藤 執(いず)れにせよ支那の実情より迷惑を蒙(こうむ)るものは先ず貴国と日本なり。

元よりそれが可能なれば支那を含め三国協商して東洋平和の確立を計るべきなれど、貴兄にもある如く目下支那には之と語るべき主権無し。又た近き未来に之あるを予想し難き故暫(しばら)く露日両国協商し隔意無き諒解の下に支那問題を解決したし。貴兄如何。

スターリン 露日両国の諒解の下に支那問題を解決せんということは、自分は外交家にあらず実際家なれば端的に伺うが、露国は日本と相談せずしては支那に対し何も行わざるようにしたしという意味なりや。日本はそれを希望するか。

後藤 否、自分の希望はそれ迄をいうにあらず、ただ露日両国の隔意無き協商を必要と思うなり。之を必要なりとは思惟せられざるか。

スターリン 支那問題に関し露日両国の隔意なき協商は必要にして又た可能なりと思惟す。しかし子爵の意見にてかかる協商の成立のために妨(さまた)げとなるものは何なりと思わるるか。

後藤 それは日本には未(いま)だ英米政策の追従(ついしょう)者あり。然れども日本は既に独立の対外政策を確立する必要に迫られつつありて、そのためには露国との握手を必要としつつあるなり。

元来支那に於ける赤化問題の如き当地にて親しく政府当局より承るところによれば、第3インターナショナルと露国政府との間には裁然(せつぜん)たる区別ありて、支那の動乱が赤化運動より来りしとするも之は露国政府の関知せざるところなる趣なり。余も之を信ず。

しかしかかることが我日本の一部には未(いま)だ十分に諒解せられざるなり》(鶴見祐輔『<決定版>正伝 後藤新平8』(藤原書店)、pp. 574-575)

※原文はカタカナ交じり書きでしたが、ひらがなに置き換えました。

 後藤新平スターリンの掌の上で踊らされてしまっていたと言うべきなのであろう。シナ事変にせよ、太平洋戦争にせよ、第3インターナショナル「コミンテルン」が暗躍していたことは今から見れば明らかである。政治の世界は「綺麗事」では済まされないのである。【了】