保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

桐生悠々について(2) ~悠々は「平和主義者」ではなかった~

桐生悠々は、戦後言うところの「平和主義者」のような存在ではなかった。実際、<戦争は必ずしも悪いと決ってはいない>と言う。

戦争と平和と、いずれを択(えら)ぶかといえば、国民の多くは後者を択ぶだろう。一部階級のものを除いて、残余の多数は、戦争よりも平和を欲するに、これまた何の不思議もない。

 だと言って、戦争は必ずしも悪いと決ってはいない。少くとも不利益なことではない。例えば、満洲事件の如き、これによって満洲を独立せしめて、これを我勢力圏内に入れたことなどは、将来において、財政上或は堪え難き負担を強いられるかも知れず、現在では、先ず、我財政上に赤字を出しつつある一原因となってはいるけれども、兎(と)にも角(かく)にも、欧米各国からしかく或は妬(ねた)まれ、或は羨(うらや)ましがられていることほど利益的なことであろう》(桐生悠々「広田外相の平和保障」(昭和10年3月5日):『桐生悠々反軍論集』(新泉社)、pp. 42-43)

 桐生悠々にあるのは「損得勘定」である。

《日本は支那と戦えば、恐らくは利益するだろう。それすら、欧米列強の干渉を招くことは必然的であろうから、そうはちょっくら彼とは戦い得ないけれども、将来は兎に角今のところでは、彼我戦えば必ず我は勝つだろう。だから、支那と戦争することは賛成だ》(同、p. 43)

 当然、必ず勝つとは言えない、つまり<国運を賭す>ような戦争を<一部階級の職業意識や、名誉心>のために行うことには断固反対する。

《が、アメリカを、ロシアを、向うに廻わすことについては、考物だ。何ぜなら、この種の戦争は国運を賭する危険千万な戦争であって、一部階級の職業意識や、名誉心のためそうした国運を賭する一大戦争を敢てすることは、暴虎馮河(ぼうこひょうが)の類である》(同)

※暴虎馮河=血気にはやって無謀な危険をおかすこと

 桐生悠々は次の有名な一節を書いた。

《防空演習は、曽(かつ)て大阪においても、行なわれたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空において行なわれ、これに参加した航空機の数も非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固(もと)よりのこと、国民は挙げて、若(も)しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりもこうした実戦が、将来決してあってはならないこと、又あらしめてはならないことを痛感したであろう》(桐生悠々「関東防空大演習を嗤う」(昭和8年8月11日):『桐生悠々反軍論集』(新泉社)、p. 36)

 そしてこの防空演習を批判した。

《私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである》(同)

 これが陸軍の怒りを買い、信州郷軍同志会が信濃毎日新聞不買運動を展開したため、桐生悠々は社を追われることとなる。【続】