保守論客の独り言

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丸山議員への糾弾決議は衆院の汚点(4) ~国会は何を恐れているのか~

《糾弾決議は一連の言動を「憲法の平和主義に反する」「議員としてあるまじき数々の暴言」などと指摘。「わが国の国益を大きく損ない、衆院の権威と品位を著しく失墜させた」「国会議員としての資格はないと断ぜざるを得ない」として「ただちに自らの進退について判断するよう促す」内容だ。

 奪われた領土は戦争で取り戻すしかないとする発言内容は、自衛目的以外の武力の行使を禁じた国際法上認められず、憲法九条の戦争放棄と、九九条の国会議員の憲法尊重、擁護義務にも反する》(6月7日付東京新聞社説)

 日本国憲法と言う名のGHQの占領統治法の武装解除条項に物理的にも精神的にも縛られたままの日本。だから北方領土竹島も奪われたままであるし、北朝鮮拉致被害者も取り戻すことが出来ないのである。要するに、<憲法の平和主義>とは、弱肉強食の国際社会をあるがままに受け入れる旨を宣言しただけである。

 後段の論理も破綻している。<奪われた領土>を取り戻すのはまさに「自衛」ではないか。一旦奪われてしまったものは諦めるしかないというのが「自衛」という考えなのか。

 また9条が戦争放棄を謳っているからと言って、戦争という言葉まで放棄したものではないことは言うまでもない。当たり前であるが、「戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか反対ですか」「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」という発言自体は憲法9条に反するものではないし、99条の国会議員の憲法尊重、擁護義務にも反しない。もしこのようなことを言えば、天皇制廃止や同性婚を訴えている人も憲法違反になってしまうだろう。

《国家間の対立を戦争で解決することを容認したと受け取れる発言に対し、「憲法の平和主義に反する」との見解を国会が明確に示した意味は大きい》(6月7日付毎日新聞社説)

 確かに<意味は大きい>。が、それは国会がポンコツだという意味においてである。一国会議員の国会外での非公式な発言を「憲法の平和主義に反する」などと称して「国会」が「明確」に批判し糾弾決議まで行うなどということは尋常でないことは明らかである。このような尋常でない決議を行ったのは例えばロシアからの恫喝があったなどということも考えられるが、そうだとすれば情けない限りである。

《丸山議員の発言は北方四島ビザなし交流の訪問団に参加した際のものだ。飲酒して卑わいな発言をし、禁じられていた外出を強行しようとして団員らともみ合いになった。決議はこれらの言動が「本院の権威と品位を著しく失墜させた」と断じた》(同)

 大々的に報道するからさも大問題であるかのようになっただけで、一国会議員が酒に酔って発した言葉など大きく取り上げるようなものではない。丸山議員が人格的に自分たちの代表に相応しいかどうかは選挙民が考えるべきことであり、衆院議員が挙(こぞ)って批判するような話ではない。

《選挙を通じて国民から負託を受けた国会議員の身分は確かに重い。特定の言論を理由に数の力で辞職を強いてはならないことは、「反軍演説」で知られる斎藤隆夫を除名した戦前のあしき前例が教えている。

 しかし、丸山議員の言動は言論の名に値するものではない。決議の提出理由には「議員としてというよりも人間としての品位を疑わせる」と異例の非難が盛り込まれた》(同)

 この論理も無茶苦茶である。言論に値するようなものではないのなら聞き流せば仕舞いではないか。言論として問題があると考えたからこそ、糾弾決議にまで至ったのではないのか。

 国会は何を恐れているのであろうか。【了】