《L・F・サフォード大佐は、当時、ワシントンの海事通信部で機密保全を担当していた。彼は、海軍提督(トーマス)ハートによる調査に対して、次のように答えている。
「12月4日、我々は2つの独立した情報源から、日本はアメリカ、英国を攻撃する、ただしソビエトとは戦わないとする情報を入手していた。ワシントン時間の12月6日午後9時、日本が対米宣戦布告するという確かな情報を得た。布告の時間は近々に示されるということだった」。サフォード大佐はこの情報はきわめて重要であると考え、暗号解読と同時に、車情報部に報告されたと証言していた。
「1941年12月7月午前10時15分(ワシントン時間)、我々はワシントンの陸軍暗号解説部隊(Signal Intelligence Service)から、日本が同日午後1時(ワシントン時間)に、国務長官に対して宣戦布告の文書を手交するという確定的な情報を持た。ウシントンの午後1時は、ハワイでは夜明けで、フィリピンではほぼ深夜にあたる時間だった。このことは、およそ3時間で飛行部妹によるハワイへの奇襲攻撃があることを示唆していた」。サフォードによれば、海軍クレイマー大尉が、海軍長官に報告する前に、このことを伝えるメモを暗号解読部隊から発信していた。
ルーズベルト大統領は、警告を(ラジオを通じて)発する十分な時間があった。推測になるが、もし警告が発せられていたら、日本は奇襲攻撃を中止した可能性もあった。いずれにせよ、3500人の米国人を、反響の機会もないままで死なせることはなかったのである〉》(フーバー『裏切られた自由 上』(草思社)渡辺惣樹訳、pp. 519-520)
フーバー元大統領はこのように書くが、おそらく多くの日本人は米国でこのような太平洋戦争における「歴史の見直し」が進んでいることを知らないであろう。
が、話はルーズベルトの陰謀に留まらない。日米合戦の裏には、スターリンの更なる陰謀があった。
かつてレーニンは言った。
《二つの帝国主義のあいだの、二つの資本主義的国家群のあいだの対立と矛盾を利用し、彼らをたがいにけしかけるべきだ》(「ロシア共産党(ポ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説」:『レーニン全集第31巻』(大月書店)、pp. 443-445)
いわゆる「敗戦革命論」である。
《こんにちの資本主義世界には、利用すべき根本的対立がある--われわれにもっとも近い対立--それは、日本とアメリカの関係である。両者のあいだには戦争が準備されている。両者は、その海岸が3000ヴェルスタもへだたっているとはいえ、太平洋の両岸で平和的に共存することができない。この競争が彼らの資本主義の関係から生じてくることは、争う余地がない》(同、p. 449)
この演説は日米開戦の20年以上も前、1920年12月6日に行われたものである。【続】