保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

UN創設75年について(2) ~共産主義の巣窟~

《国連は自衛のためか、あるいは集団安全保障に関する場合を除いて、武力による威嚇や武力の行使を認めていない。そして安全保障理事会が総会に優越して、国際紛争の解決に必要な経済的、外交的、軍事的制裁の権限を持つ。拒否権がある常任理事国は5戦勝国安保理は全会一致を原則としているため、拒否権の乱用で国際紛争の解決に十分な役割を果たせなかった》(10月24日付琉球新報社説)

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https://www.globalpolicy.org/images/pdfs/Changing_Patterns_in_the_Use_of_the_Veto_as_of_August_2012.pdf​)

 この<拒否権>の来歴自体に問題があった。

《当時のソ連が、拒否権の万能という主張をしていたのは、万が一、国連が反ソ連包囲網と化した時に、その動きをつぶすためにも絶対的拒否権を持ちたがっていたからである。具体的に言うとポーランドなど東欧におけるソ連の衛星国が、国連にソ連の非道を訴えることをできないようにしたいがための主張だということが暗号解読で判明した。

そこでアメリカは、チェコポーランドのようなソ連“占領地域”における問題は国連で議題として取り上げることはない、という密約をソ連と交わしたのである。かつてバルト3国などに対してルーズベルトが犯した「ヤルタの裏切り」の上塗りをトルーマンがしたわけだ。それゆえソ連は反対を引っ込め、国連はかろうじて流産を免れ命をつないだのである。

国連は「ヤルタの共犯者」というか、「ヤルタの申し子」であったわけで、この意味で国連は、そもそもの始めから共産主義による人権抑圧、左翼ファシズムによる自由の弾圧を黙認ないし推進することで存立してきた機構だったといってよい》(中西輝政『日本の「岐路」』(文藝春秋)、p. 189)

 さらに中西氏は指摘する。

《今日、中国や北朝鮮キューバ共産党一党独裁体制が崩壊すれば共産主義は終わりかといえば、決してそうではない。その「最後の牙城」にして、「最大の巣窟」がもしかすると、国連であるかもしれない。誰の眼からも逃れられる「避難所」としての国連という存在は、すでに今日の世界では清算されてしまったはずの20世紀の共産主義イデオロギーの残滓(ざんし)を引きずった存在でありつづけることが可能だからである。 それゆえ我々の20世紀の経験から言えば、ロシア革命後創設され、ソ連共産党本部の「支部」として各国に共産党を広め、世界革命を目指したコミンテルン共産主義インターナショナル)と今日の国連との間に深い類似性を指摘しないわけにはゆかない》(同、p. 197)

 共産党独裁とUNは「親和性」が高いということである。このことはしっかり確認しておくべきである。

《金融や通信、貿易といったような限定された局面における国際機関というものは近代以降少なからず存在してきたものの、総合的に、すべての局面において、「国家や家族、伝統文化に固執してきたこれまでの人類文明を止揚し画期的に変革していく」という普遍的な目的と、組織としての超国家的世界性をもった国際機関というのは、人類史上コミンテルンと国連だけである》(同、p. 198)【続】