保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

即位の礼について(5) ~過去を軽んずることは、自らを軽んずること~

政教分離の原則は、宗教戦争に明け暮れた欧州の悲惨な歴史を踏まえ、政治権力と宗教の分離を求めるものだ。権威を帯びても権力を振るわず、宗教団体を持たれない天皇の祭祀、儀式に杓子(しゃくし)定規に当てはめては、天皇を戴(いただ)く憲法の精神に反する。

 日本の国柄の特徴は、代々の天皇と国民が共に歩み、長い歴史を紡いできた点にある。

 これを反映して憲法第1章は天皇の章となっている。天皇は、「象徴」という極めて重い位置付けの立憲君主といえる。

 「万歳」によって君主の即位をお祝いし、長寿を祈るのは北東アジアにおける常識的な儀礼であり、国民主権と矛盾すると考えるのは憲法を曲解している》(1022日付産經新聞主張)

 「国民主権」が戦前の「天皇主権」(ここで言う「天皇」とは歴史伝統的存在としての「天皇」である)を否定すべく導入されたのであるから、これが皇室の伝統と矛盾するのは当然である。憲法を曲解しているのはむしろ産經主張子の方である。現行憲法で矛盾はないとするよりも、国民主権、平和主義、人権を謳った「革命」のお膳立てたる現行憲法を改め、日本の文化伝統に沿った自主憲法を制定すべきだとどうして言えないのか。

《令和の日本と皇室には大きな課題が残っている。それは皇位の安定的な継承策を講ずることだ。初代の神武天皇から第126代の今上陛下まで一度の例外もなく貫かれてきた男系継承の大原則に沿う必要がある》(同)

 男系継承の原則は堅持すべきではある。継投的な女性天皇はおられた。が、女系天皇だけは絶対に阻止しなければならない。

《この大原則に基づく現在の皇位継承順位を政治が変更することはあってはならない。「女系天皇」への道を選ぶことは今の皇統の断絶、王朝の変更に等しく、大混乱を招いてしまう。自民党有志の議連「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」が、旧宮家男子の皇族復帰案をまとめたことは評価できる》(同)

 否、女系天皇の問題は、現皇后陛下のように妃(きさき)を皇室外から受け入れれば、女系を遡(さかのぼ)っていけば皇室外に出てしまうからである。こうなれば、平安時代藤原氏のように「外戚」が権力を握るというようなことにもなりかねない。このようなことになれば混乱は避けられず、皇室の伝統が崩壊しかねないのである。

《きょうの日を、これからの時代にふさわしい皇室のあり方を考える出発点としたい》(1022日付神戸新聞社説)

 <これからの時代にふさわしい皇室のあり方を考える>など傲岸不遜以外の何物でもない。<これからの時代>って何だ。過去の歴史や伝統を余りにも軽んじ過ぎてやしないか。

 今の日本の安寧と平和は皇室という歴史を貫く「背骨」があればこそである。その有り難みを一顧だにしないかのような不敬な言説は慎むべきである。

 「伝統」を簡単に変更出来るほど我々の「理性」は優秀なのか。勿論、私は「伝統」を旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)せよと言いたいわけではない。そもそも「伝統」とは絶対に変更を許さぬような頑迷固陋(がんめいころう)なものではないはずである。

 が、一方で、絶対に変えてはならないものもあり、歴史と時代を鑑みながら、「不易」と「流行」を衡量(こうりょう)することが肝要なのではないか。

 過去を軽んずることは、自らを軽んずることである。

《国民一人一人も、皇室や国のありように思いを致す一日としたい》(1022日付西日本新聞社説)

と言う方が遥かに本来的である。【了】