保守論客の独り言

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即位の礼について(4) ~憲法と皇室伝統は矛盾する~

《平成の御代(みよ)替わりをおおむね踏襲した今回の即位の礼に対して、一部から、現憲法に反するとの指摘が出ている。もっと素直にお祝いできないものか》(1022日付産經新聞主張)

 思わず心の声が出たのかもしれないが、皇室の伝統的儀式と現行憲法が矛盾するというか、その矛盾を現行憲法が抱えているのは「事実」である。

《即位礼正殿の儀で、三種の神器のうち剣と璽が置かれることなどは憲法政教分離原則に反し、高御座の陛下に首相らが万歳を唱えるのは憲法国民主権に触れるのだという。いずれも誤った憲法解釈に基づく謬見(びゅうけん)である》(同)

 憲法解釈が誤っているというよりも、憲法そのものが日本の文化伝統に合わないことが問題なのではないか。日本の伝統を断ち切るべく作られたのが「米製憲法」なのであるから当然である。

天皇にとって、祈り、宮中の祭祀(さいし)は本質的、伝統的役割である。歴代天皇は「国安かれ、民安かれ」と祈ってこられた。儀式から神道の色彩を消せば、天皇天皇でなくなってしまう》(同)

 フランス革命を模して「国民主権」を謳った日本国憲法には次のようにある。

1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 日本国民の総意がなければ、天皇天皇でなくなるということである。このような不遜な文言を新憲法制定当時書き加えさせた人物が、『ヴェノナ文書』によってソ連のスパイであることが明らかとなったTA・ビッソンであった。

《「ヴェノナ」通信文においてビッソンは当初、そのままの名前で出てきたが、のちに《アーサー》というカバーネームを与えられている。通信文は、ビッソンは「経済戦争委員会」(BEW)を辞めたばかりで、「太平洋問題調査会」(IPR)と「マーキスの雑誌の編集部」に勤めている、と伝えている。実際に、バーンスタインは当時、『アメラジア』誌で働いており、ピッソンは同誌発行人であるジャフェの近しい協力者であった。

 長年、中国共産党の熱烈な擁護者であったビッソンは、『チャイナ・トゥデイ』と『アメラジア』両方の創刊メンバーに加わっていた。彼はまた、毛沢東指導下の中国共産党員は真のマルクス・レーニン主義者ではない、という見方を主張する中心人物であった。「いわゆる共産主義的な中国」は「民主主義的な中国」と表現されるのが正しく、毛沢東が支配する地域で定着している体制は「実のところ、ブルジョワ民主主義が核となっている」とピッソンは自身の論文の中で主張している。

 ビッソンは1943年に非米活動特別委員会で、自分は共産主義のシンパではない、と主張した。自らの活動のすべては、ソ連と中国に対するより深い理解をアメリカ人に与えることである、と彼は断言した》(『ヴェノナ』(扶桑社)中西輝政監修、p. 263

 ビッソンは天皇制廃止の種を蒔くべく次のように主張した。

《日本国民の心のなかにある天皇神話全体の信憑性を失わせ、その復活の可能性を永久に取り除くことが不可欠である。もしも日本国民が天皇にそむき、天皇を退位させるならば、その行為は賞賛され、支持されなければならない。もしも彼らがそうしないのならば、彼らが必ず黙従すると考えられる根拠があり次第、彼らに代わってただちにその措置をとらなければならない》(TA・ビッソン「日本にとっての平和の代価」:『パシフィック・アフェアーズ』171号、19443月:『資料 日本占領1 天皇制』(大月書店)、p. 245【続】