保守論客の独り言

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皇位継承等の有識者会議について(6) ~一夫一婦制は俗世の倫理~

《新典範に於ては、皇統に属する者であっても、庶子(しょし=本妻以外の女性から生まれた子)に対しては皇族の身分を認めず、従って皇位継承権は認められないことになった。この点は、古来の皇位継承法、明治の典範が、嫡出(ちゃくしゅつ)優先主義の上に立ちながらも、庶子の継承権をも承認していたのに対して、注目すべき変革と云わねばならない。この変革の趣旨とするところは、国民の道徳的典型としての皇室に於て、一夫一婦の遺徳的倫理原則の確立されることを要望するものと解せられる。

一夫一婦の倫理原則は、主としてキリスト教国民の間に発展し、今日に於てはあまねく非キリスト教徒の間に於ても承認されている一般的倫理原則であり、先帝(大正天皇)以来皇室に於ても、この道を守られているのは周知の通りである。一夫一婦の原則が守られる限り、庶子の存在は予想されぬ所であり、庶子の継承権を否認せる新典範に対して、この点に関する異議は今日のところ殆んど認められぬ。

 然しながら皇庶子の継承権を全的に否定せる新法が、果して日本将来の皇位継承法として適正なりや否やは甚しく疑わしい。悠久なる皇位継承法の如きは、単なる理法のみによって考えらるべきではなく、国史の事実、実蹟を最も重視するを要する》(葦津珍彦『日本の君主制』(葦津事務所)、p. 228

 「お世継ぎ」問題を考えるにあたっては、一夫一婦という俗世の倫理観に縛られるべきではないだろう。優先されるべきは、安定的皇位継承なのであるから、「側室制度」復活の議論は避けては通れないと思われる。

万世一系皇位継承法は、男系の継承に限られていて、養子女系相続等を認めない。この点は男系男子の継承者のない場合に、しばしば女帝を立て、女帝の子孫を以て相継者と認める英国王朝の場合とは本質的に異る。女系継承を認めず、しかも庶子継承を認めないと云う継承法は無理をまぬかれぬ。これに対して新法が、わずかに回答し得る所は、永世皇族主義の制度のみである。

大宝令以来、天皇の五世以下の王は皇親の限にあらずとされ、その後も一代皇族、二代皇族等の制度が行われたが、旧皇室典範では永世皇族主義をとって、皇統保持の万全策をとられた。しかしながら、五世以下の王が直系の庶出皇子よりも、国民敬愛の皇位に就かせ給う適格者なりとは考えられぬ。明治の典範が、嫡出の優先を第一義とし、しかも庶出の直系を傍系に優先せしめたのは、深い道理がある(伊藤博文皇室典範義解参照)。

一夫一婦の倫理主義は、固(もと)より原則的に敬重せられることが望ましい。新典範を待つまでもなく大正天皇以来、それはわが皇室に於ても採用せられている。しかしながら永い歴史の間には変則なきを保し難い。東宮妃又は皇后が、皇子を儲けられるに先立ちて不治の疾患にかからせられたような場合に、果して皇庶子皇位継承の道を否認することが、日本本来の道であろうか。

 天皇及皇族の婚姻は、決して一般人民の私的倫理観を以てのみ律しつくせるものではない。それは特殊の法的制約の下におかれている。それは天皇にあっては、婚姻も亦決して人民的意味に於ての私事に属するものではないことを意味している。われわれは一夫一婦の倫理原則の尊重すべき事を卒直に認め、古代中世の妃嬢等の制度の改めらるべき理由の存在することを承認する。しかしながら、皇庶子の継承権を全的に否認することは、皇位継承法の根本的変革を意味するものであり、同意しがたい所である》(同、pp. 229-230​【続】​