保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

李登輝氏逝去について(3) ~日本精神~

《日本は先の大戦に敗れるまで半世紀、台湾を植民地支配していた。その歴史を背景に、李氏は日本にとって特別な政治家だった。植民地時代の台湾で生まれ、京都帝大に学んだ。日本軍人として終戦を迎えた。

 流暢(りゅうちょう)な日本語で「22歳まで自分は日本人だった」などと語る言葉が、当時を肯定するかのように受け止められることもあった。だが、本人は動じることなく、ときに日本の政治家について「小手先のことばかり論じている」と厳しかった》(8月1日付朝日新聞社説)

 <当時を肯定するかのように受け止められる>のではない。当時を肯定しておられたのだ。だから戦後日本の政治家に厳しかったのである。自分を育ててくれた戦前の日本に感謝するからこそ戦後日本の卑屈さに我慢がならなかったということである。

《「民主化の父」として知られ、戦後の台湾を独裁支配した中国大陸由来の国民党政権を、6回の憲法改正などで内側から改革した。心から哀悼の意を表すとともに、満身の力を込めて自由と民主主義を守った強固な意志を次代につなぎたい》(7月31日付産經新聞主張)

《李氏が重要性を訴え続けた自由と民主主義を、次代も引き継いでもらいたい》(8月1日付北海道新聞社説)

 が、李氏が<自由>や<民主主義>に拘泥(こうでい)していたとはとても思われない。確かに李氏は大陸に抗(あらが)った。が、それは台湾の「独立自尊」を目指さんがためであった。

《台湾人は

「日本精神(リップンチェンシン)」

という言葉を好んで用います。これは日本統治時代に台湾人が学んだ、勇気、誠実、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、清潔といった諸々の美点を指す言葉です。日本人がこの「日本精神」を失わない限り、日本は世界のリーダーとして発展していくことが可能だと、私は信じています》(「『日本精神』を失うな——台湾民主化の父・李登輝さんが『致知』に語ったもの」:2020年07月31日付致知出版社HP)

 戦後日本人は敗戦と共に多くのものを捨て去った。その中には捨ててはならないものもあったはずだ。李氏の言う<日本精神>もその1つであろう。<自由>だの<民主主義>だのといった西欧の<理念>に気触(かぶ)れてしまった戦後日本人が反省すべきところがここにある。

《日本統治時代の大正12(1923)年に台湾で生まれ、旧制台北高から京都帝大(現京大)に進んだ李氏は、学徒出陣を経て、旧日本軍の陸軍少尉の立場で終戦を迎えている。日本人の良さも悪さも知り尽くしている人物だった》(同、産經主張)

 李氏は神ではないのだから<日本人の良さも悪さも知り尽くしている>とはやや誇張が過ぎるだろう。私なら「良い意味でも悪い意味でも日本人のことをよく知っていた」とでも言うところだろうか。【了】