保守論客の独り言

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李登輝氏逝去について(2) ~東京社説子が勝手に抱く「台湾の悲哀」~

《李氏を語る時、忘れてはならないのは「台湾の悲哀と誇り」を自身が強く感じ、その思いを台湾統治に結実させてきた政治家であるという視点であろう。

 李氏は90年代初め、台湾を訪れた作家の司馬遼太郎氏と対談し「台湾人に生まれた悲哀」に言及した。その悲哀とは、戦前の日本植民地時代には日本人として生まれながら、本土出身の日本人と差別され、祖国復帰後は大陸から来た外来政権が権力を握り、台湾人が抑圧されてきた歴史である》(8月1日付東京新聞社説)

 これは出鱈目(でたらめ)である。司馬氏に語ったのは

《「外来政権」に支配されてきた台湾人の「悲哀」》(8月1日付毎日新聞社説)

なのであって、<植民地>だの<差別>だのといったことを李氏は口にしていない。

李 いままでの台湾の権力を握ってきたのは、全部外来政権でした。最近私は平気でこういうことを言います。国民党にしても外来政権だよ。台湾人を治めにやってきただけの党だった。これを台湾人の国民党にしなければいけない。かつてわれわれ70代の人間は夜にろくろく寝たことがなかった。子孫をそういう目には遭わせたくない。(司馬遼太郎『台湾紀行』(朝日文芸文庫)街道をゆく40、p. 386)

 東京社説子には台湾が置かれている大変な状況が分からないのだろう。シナと台湾は「1つの中国」という立場なのであろうから分かるはずもない。独立したくても許されない。そこに<台湾の悲哀>がある。

―(編集部)台湾はやはり新しい時代に出発したということでしょうか。

李 そう、出発した。モーゼも人民もこれからが大変です。しかしとにかく出発したんだ。そう、多くの台湾の人々が犠牲になった二・二八事件を考えるとき、「出エジプト記」はひとつの結論ですね。(同、pp. 392-393)

二・二八事件:1947年2月28日の国民党による武力鎮圧事件。

《李氏は日本語に堪能で親日家として知られる。「誠実、責任感、勤勉などの日本精神を日本統治時代に学び、台湾人が自らの誇りとした」と称(たた)えたことは、日本人として率直に感謝したい》(同、東京社説)

 これは「有難い」ことではあっても<感謝>することではない。おそらく李氏を素直に評価できない心のねじれが言葉の選択を誤らせたのであろう。

《だが、東アジアの政治指導者の一人である李氏が若き日、学徒出陣で出征し、旧日本陸軍少尉として名古屋で終戦を迎えた歴史からも目を背けることはできない。

 戦前の日本が、アジア諸国を侵略し、李氏の心から終生離れることのなかった「台湾人の悲哀」の一端をつくった責任は否定できない。

 李氏自身は批判していないが、こうした負の歴史の教訓を私たちは忘れるべきではない》(同)

 どうして社説子の意見をここにねじ込まなければならないのか。おそらく李氏はこのようなことを夢にも思っておられなかったはずで、失礼千万である。【続】