12月20日付読売社説の「アラブの春10年 いつまで血を流し続けるのか」という標題が気になった。なんとも「上から目線」ではないか。彼等とて血を流し続けたくて流しているわけではない。それなのに安楽に<いつまで血を流し続けるのか>などとどうして言えようか。
《「アラブの春」と呼ばれる中東の民主化運動の契機となったチュニジアでの若者の焼身自殺から、10年が過ぎた》(12月20日付読売新聞社説)
日本人は10年単位の節目が好きである。が、刻々と変わるアラブ情勢を10年単位で思い起こすのはそもそも当事者意識が低いからであろう。
《圧政を打ち倒した運動は短期間でしぼみ、強権体制の復活と内戦ばかりが目立つようになった。アラブ諸国に民主主義を定着させることは、なぜこれほど困難なのか》(同)
逆に私は問いたい。どうして<アラブ諸国に民主主義を定着させること>が出来ると思っていたのかと。
《中東・北アフリカ地域の不安定化が止まらない要因は、地勢的な抗争や宗教・宗派間の対立、局地的な力の空洞化などさまざま》(12月19日付山陽新聞社説)
なのであって、むしろアラブの民主化運動が更なる混迷へと繋がりかねないと考えるのが当然ではなかったか。つまり、「アラブの春」などというものは、平和呆けの国に住まう民主主義信者の「幻想」でしかなかったということである。
《混乱に乗じ、この地域での影響力を強めようと「テロとの戦い」などを名目に資金援助や武器輸出を行っている周辺国のサウジアラビアやトルコ、欧米諸国の責任も重い》(同)
世界は戦後日本人が考えているような甘っちょろい平和観など持ち合わせてはいない。そこにあるのは「弱肉強食」の利害関係があるだけなのである。
《チュニジアで始まった反政府デモは、翌年にかけてエジプトなど各国に飛び火し、長期に及ぶ独裁政権が相次いで倒れた。リビアでは、反体制派との武力衝突の末、カダフィ政権が崩壊した。だが、「春」は長くは続かなかった。
エジプトでは、民主的な選挙を経て、イスラム教に基づく統治を目指すイスラム主義勢力の政権が生まれたが、事実上のクーデターで軍主導の強権政権が復活した。リビアは今も内戦状態にある。
憲法制定と選挙を通じて一定の民主化を果たしたチュニジアは、例外にすぎない。中東の政治・社会風土には、民族や部族、宗派で国民が分断しやすい傾向がある。軍や強権に頼らずに国をまとめる難しさが示されたと言える。
イスラム主義勢力が、世俗主義勢力や軍部、王政との対立に陥りやすい政治構造も、民主化の妨げとなっていよう》(同、読売社説)
情勢分析はそういうことなのであろう。が、問われるのは、10年前に「アラブの春」などと騒いだマスコミの軽薄浅慮である。【続】