保守論客の独り言

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UN創設75年について(3) ~どうしてシナが常任理事国なのか~

国際連盟の失敗の理由はアメリカやソ連が不参加だったことのほかに、総会や理事会が大国も小国もまったく同等の全会一致を基本としたため、連盟全体としての意思が決められなかったことだとされた。(中略)

 このため1944年のダンバートンオークス会議からヤルタ会談での討議を経て、翌45年4月に開くサンフランシスコ会議で正式に決まった国際連合のメカニズムは明らかに国際連盟の失敗からの教訓を反映させていた。

 まず第一には大国、小国まったく平等という連盟の基本に対し、国連は大国のパワーが世界の平和を左右する現実を認めて、安全保障理事会常任理事国という形でアメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランスの戦勝連合5カ国に特権を供し、しかも拒否権という究極のカードを与えていた》(古森義久『国連幻想』(産経新聞社)、pp. 54-55)

 百歩、千歩譲って常任理事国による指導体制が必要なのだとしよう。が、どうして大役を担う力量もなく、攪乱(こうらん)要因にしかならないであろう二等国のシナがそこに入ったのか。

《広い意味ではドイツ、日本、イタリアという枢軸国と戦った連合国が勝者だった。だがもう少し踏み込んでみると、中国とフランスは厳密な意味では勝者ではなかった。であるのに、勝者の特権を与えられたところにも国連の深刻なひずみが存在するといえる。

 第2次大戦の実際の戦闘で自らも莫大な犠牲を払い、枢軸側を破った勝者は、米英ソの3大国だった。だから枢軸側への要求や戦後への構想を決める最重要な会議では当時の中国政権である中華民国は除外された。テヘラン会議やヤルタ会談は米英ソ3大国の首脳だけで進められた。国連がらみの戦後秩序を論じるときにも当初はこの3大国だけの「3人の警察官」構想が主だったのである。

 ところが1943年11月のテヘラン会議でアメリカのルーズベルト大統領が熱心に中国を連合国の主要メンバーに引きずりあげることを主張した。戦後への構想は「4人の警察官」となった。中国は人工的に大国の扱いを受けるようになった。

(中略)

 ルーズベルト大統領は中国の格上げは対日戦争での中国の士気を高めるだけでなく、戦後のアジアで中国を親米の強力な存在とし、ソ連の覇権や日本の再興を抑えるのに役立つ、と計算していた。アジアの国を大国扱いすることは戦後の世界での欧米支配の印象を薄めるという考慮もあった。

 しかしチャーチル首相はアメリカのこの動きを「中国の真の重要性をとてつもなく拡大する異様な格上げ」と批判した。スターリン首相も中国の戦争貢献の少なさを指摘し、さらに激しく反対した。だがルーズベルト大統領はソ連への軍事援助の削減までをほのめかして、反対を抑えていった》(古森義久『国連幻想』(産経新聞社)、pp. 59-60)

 さらに指摘すれば、現在のシナは国連加盟時の「中華民国」ではなく革命を経た「中華人民共和国」である。

《中国とフランスが常任理事国に選ばれたプロセスは明らかにそうしたパワー政治が公正や平等、論理や規則という原則を押しのけた形跡をあらわにする。しかも当初の五常任理事国のうちソ連はいまや崩壊して、ロシアとなった。中国を代表した中華民国は国連を追われ、議席中華人民共和国に移された。フランスを含まない「四人の警察官」のうち2人はすでに別人となってしまった》(古森義久『国連幻想』(産経新聞社)、pp. 61-62

 中華民国を大陸から台湾へと追いやった中華人民共和国がどうして安保理常任理事国という特権を引き継いだのか。まったくおかしな話ではないか。【続】