保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

国債購入上限撤廃への批判について(2) ~戦後の日本封じ込め政策~

《わが国の財政法は、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」(第4条)とし、国債の発行を原則として禁止しています。

 この規定は、戦前、天皇制政府がおこなった無謀な侵略戦争が、膨大な戦時国債の発行があってはじめて可能であったという反省にもとづいて、財政法制定にさいして設けられたもので、憲法の前文および第9条の平和主義に照応するものです。

 この点について、現行財政法の制定時の直接の起案者である平井平治氏(当時、大蔵省主計局法規課長)は、当時の解説書(「財政法逐条解説」1947年)で、次のようにのべています。

 「戦争危険の防止については、戦争と公債がいかに密接不離の関係にあるかは、各国の歴史をひもとくまでもなく、わが国の歴史をみても公債なくして戦争の計画遂行の不可能であったことを考察すれば明らかである、……公債のないところに戦争はないと断言しうるのである、従って、本条(財政法第4条)はまた憲法戦争放棄の規定を裏書き保証せんとするものであるともいいうる」

 こうした、財政法での国債発行の原則禁止と憲法戦争放棄との関連は、年間5兆円近い軍事費をもつ「軍事大国」となり、その財源に赤字国債があてられている今日、戦後の原点としてあらためてふまえなければなりません》(2008424日付しんぶん赤旗

 戦前の政府を<天皇制政府>などと称するのはさすがに赤旗だけであろうが、<侵略戦争>の方は多くの人がそうだと思い込まされているに違いない。大東亜・太平洋戦争は、日本が大陸へ進出し侵略した戦争ではなく、米英が日本を戦争に追い込んだ戦争である。そしてその後ろにはソ連スターリンがいたということが『ヴェノナ文書』などから明らかになってきている。

 だから、国債発行を禁じて日本が軍事大国化することを防ごうとするなどというのは考え違いも甚だしいと言わねばならない。

 財政法がそのような精神で書かれているのだとすれば、改正する必要がある。

《政府の資金繰りを中央銀行が支える形は本来、禁じ手であることを忘れてはならない。

 金融緩和の長期化で日銀はすでに国債発行残高の半数近くを抱え込む。さらに増えれば金利上昇時に含み損が膨れ上がるリスクもある。日銀の経営の健全性が損なわれ、円の価値にも響きかねない》(430日付神戸新聞社説)

 日銀が国債を上限なく買い入れれば金利が上昇することはなく、したがって、含み損も発生しない。また、日銀が<禁じ手>を使ったことで不健全だと思われたとしても、貨幣供給量が増加すれば経済的に大きな利益であり、むしろ日本の評価が高まる可能性が高い。

《日銀はコロナ禍により20年度の日本経済が大幅なマイナス成長に陥り、物価が下落すると予測する。しかし経済活動が収縮する中でお金の量が増えれば、投機資金として商品市場に流れ込み、賃金が上がらないのに物価を押し上げる可能性も否めない。そうなれば、国民は感染拡大と二重の痛みを強いられる》(同)

 コロナ禍対策として調達した資金がどうして<投機>に流れるのか分からないし、投機資金が商品市場に流れ込みインフレとなるというのもどういう理屈なのか分からない。コロナ禍対策やコロナ禍終息後の景気回復のために多額の資金が必要であることは誰の目にも明らかなはずなのに、どうしてこのような有りもしないような屁理屈をこねてブー垂れる必要があるのだろうか。【了】