保守論客の独り言

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合同葬弔意要請について(2) ~おかしな要請~

「強制でなくとも、弔意を求めるのは職員の思想良心の自由に触れる。葬儀があるとの通知にとどめ、大学の自治に委ねるべきだった」(東京都立大の木村草太教授(憲法))(時事ドットコムニュース10/18(日) 7:21配信)

 <思想良心の自由に触れる>とは憲法に抵触するという意味なのだろうか。おそらく憲法違反とまでは言えないからこのような思わせぶりな言い方をしているのだと思われるが、通知に留めるべきだったというのは私も礼儀的に考えて同じ意見である。

《教委への周知を徹底したことにも、教育現場を動員するかの意図が透ける。都道府県や市区町村の教委は、文科省の管理監督を受ける下部機関ではない。政治権力からの独立は教育の根幹にあるべきものだ。政権の意向が上意下達のように教育現場に押しつけられることがあってはならない。

教育基本法は、学校が特定の政党を支持する教育や活動をすることを禁じている。自民党との合同葬で弔旗の掲揚や黙とうを求めれば、この規定にも抵触する恐れがある》(10月16日付信濃毎日新聞社説)

 教育委員会が本来的に政治から独立した存在であるべきかどうかという別の問題もあるが、少なくとも現状では教育基本法第16条で

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

とされており、今回の合同葬で指図を受ける筋合いではないとも言われるだろう。

 最後にお金の問題である。

《中曽根元首相の合同葬の費用は国と自民党が折半し、総額は2億円近い。新型コロナウイルス対策で国の財政事情が切迫している折、政府は20年度予算の予備費から約9600万円を計上し、「高額すぎる」との声も聞かれる》(10月16日付京都新聞社説)

 幾つかの論点が考えられるが、まず日本の首相の葬儀に9600万円掛ける価値がないというのも何とも情けない気がする。このような国家規模の話に庶民感覚を持ち込み、国民1人当たり1円も掛からない費用が高すぎるというのは少し違うように思う。

 「金は天下の回りもの」という諺もある。コロナ禍で金の回りが鈍っているのであるから、金を回していこうという意味でも縮こまる必要はないのではないか。

 そもそも<国の財政事情が切迫している>というのが間違いで、「緊縮財政」を敷こうとするからこのような話になってしまうのである。

 資金調達は十分に可能である。問題は、いつ、どこに、どれだけのお金を入れるのかの議論が不十分なところにあるというべきなのではないか。【了】