保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

最高裁大法廷が再び夫婦別姓を認めなかったことについて(1) ~主観に囚われた社説~

夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定が憲法に反するかどうかが争われた家事審判の決定で、最高裁大法廷は、「合憲」との判断を改めて示した。

 明治期から夫婦に同姓を義務付けた規定は「社会に定着しており、合理的」とした2015年12月の大法廷判決を踏襲した形だ》(6月24日付京都新聞社説)

 この大法廷判断に対し、

《承服できない決定だ》(6月24日付朝日新聞社説)

《受け入れ難い》(6月24日付神戸新聞社説)

《納得できない判断である》(6月24日付信濃毎日新聞社説)

《判断は妥当である》(6月24日付読売新聞社説)

《妥当な判断である》(6月24日付産經新聞主張)

などと主観を述べている社説が目に付く。が、例えば、どの部分がどういう点で<承服できない>のかをもっと客観的に述べるべきだろうし、大法廷判断に対し<妥当>だと上から目線で言うことにも違和感がある。別に我々はこのような社説子個人の感想を聞きたいわけではない。

《制度の在り方は「国会で議論、判断されるべき」とし、15年に続き立法府の対応を促した。国会は指摘を重く受け止め、足踏みしてきた改正論議を加速させねばならない》(同、京都社説)

 が、果たして司法は立法府に対応を<促した>のであろうか。成程、

《姓を巡る制度は「国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」であって、憲法に適合するかどうかの審査とは「次元を異にする」と指摘。15年判決と同様、国会に取り組みを促した》(6月25日付南日本新聞社説)

《制度の在り方については「憲法違反の審査とは次元が異なる。国会で論ぜられ判断されるべきだ」として、立法における議論を改めて促した》(6月25日付高知新聞社説)

《決定では現行ルールが憲法に違反するかどうかの司法審査と、夫婦の姓についての制度を考えていくことは「次元を異にする」と明記しており、「国会で論じ、判断すべき事柄」として国会に議論を促した》(6月25日付山陽新聞社説)

のように、国会に対応を<促した>と考えている社説も散見される。が、司法が立法に圧力を掛けたかのように言うことは「三権分立」の原理に抵触しかねない。法改正は司法の権限外なので、国会に対応を<委ねた>と言う方がずっと適切であろうと思われる。

《「国会で論ぜられるべき事柄にほかならない」と再び対応を委ねてしまった》(6月24日付毎日新聞社説)

《司法が現状を追認し、国会に判断を委ねるばかりでは、一向に前進は望めはしない》(6月25日付東京新聞社説)

最高裁は「この種の制度は、国会で判断されるべきだ」として、取り組みを立法府に委ねた》(6月25日付沖縄タイムス社説)​【続】​