《コロナショックをきっかけに働き方も変わる。年功序列型賃金や終身雇用制は限界だ。これからは雇用の流動化が進む》(AERA dot. 2020.5.16 10:30)
1980年代バブルが弾ける前から言われてきたことである。一体どれほど遅れた情報を持ち出してくるのであろうか。
今はもうすでに<年功序列型賃金や終身雇用制は限界>という考え方が「限界」に来ていると言うのなら分かる。が、今更このような旧聞に属するようなことを訳知り顔で言われてもただ困惑するしかない。
<雇用の流動化>にしてもそれが良かったのならまだしも、非正規雇用労働者増加がもたらした暗い影の部分に気付かないようではこの話を語る資格はないだろう。藤巻氏の論理は米国上位1%の富裕層のものである。
《無理してブラック企業で働き続ける必要はない。外出自粛でリモートワークが広がり、働き方を見直す機会になった。会社にいる時間ではなく、どのくらいの成果を上げたかで評価される。一人ひとりが生産性を上げて、それに見合った報酬をもらうようになればいい》(同)
これからは「能力主義」の時代だと言われ続けてきてそうなっていないのは、日本の企業風土の問題もあろうし、「能力」をどう判断するのかという根本的問題もある。否、大事なのは「能力」ではなく「成果」だと言われるかもしれない。
が、個人主義の欧米とは違って、集団主義の日本における「個人の成果」とは何かを判断するのは容易なことではない。実際、バブルが弾けて以降、欧米を見習えと「成果主義」に走った企業も少なくなかったが、これが奏功したという話は寡聞にして私は知らない。
《私は日本の財政や日銀が危ないと言い続けてきたが、ここまで来れば日銀の破綻は避けられないと思う。ただコロナ禍の最中にだけは起きて欲しくない。あまりに悲惨だからだ。だから、どこまでを税金で補償するかの見極めが重要なのだ。破綻してハイパーインフレになれば市場原理によって、日本経済は必ず復活する。私たちがやるべきことは、現実を認識してXデーに備えることだ》(同)
<日銀の破綻>の意味が分からない。日本が債務不履行(default)を起こして破綻するというのなら分からなくもないが、どうして日本銀行が破綻などするのであろうか。
コロナ禍がどのように終息するのかで話はまったく違ってくるのであるが、当面政府がやるべきことは、動かなくなっている経済の部分を十分な資金供給によって下支えすることであろう。そのためには資金が要る。政府の負債が拡大することを恐れて出し渋ってはならない。
《日本維新の会の藤巻健史参院議員は、アベノミクスの下で異次元金融緩和を続ける日本は財政赤字を容認する「現代金融理論(MMT)」の実験場になっており、やがて財政破綻して同理論の誤りを「証明することになる」と警鐘を鳴らした》(「日本はMMTの実験場、財政破綻で誤り証明へ」:Bloomberg 2019年4月11日 7:00 JST)
この発言から1年経っても財政破綻していないということは、逆にMMTの正しさを証明していることにならないか。
《藤巻氏は9日のインタビューで、自国通貨建てで国債を発行する国は、財政破綻に陥ることはないとするMMTの理論は、論理的根拠が乏しい「ブードゥー(呪術)経済学だ」と批判。無制限に財政赤字を膨らませてもいいのであれば、「税金はいらない」のであり「そんなばかな話はない」と一蹴した》(同)
これまでデフレを生じさせるほどに抑え込んできた貨幣流通量を正常に戻そうというだけの話である。決して<無制限に財政赤字を膨らませてもいい>という話ではない。【了】