保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

朝日社旗は旭日旗ではないのか

《そもそも人はなぜ、旗を手にするのか》(1月11日付朝日新聞社説)

 残念ながらなのか幸いにしてなのかは分からないが、私は旗を手にした記憶がない。スポーツ観戦などで小旗を振る光景をよく見掛けるが、やはりここには集団性というもの関係しているように思われる。だからであろう、私のような「一匹狼」には仲間と共に旗を振る習慣がない。

《起源がどうあれ、旗は集団のシンボルとされてきた》(同)

 旗が<集団のシンボル>であることに異論はない。「日の丸」は日本国のシンボルである。が、朝日社説子は「日の丸」にケチを付ける。

《「日の丸」に対しても、複雑な感情を抱く人々がいる。

 戦後75年が過ぎても、そうした人々から見れば、日の丸を掲げる行為そのものが、侵略戦争の暗い記憶を呼び起こすものにほかならない》(同)

 日本は「自存自衛」のために戦っただけで、<侵略戦争>などしていない。<侵略戦争の暗い記憶>などどこの誰が持っているというのか。勿論、このようなことを口にする人もいるだろう。が、おそらくそれは日本人を分断し、日本を貶(おとし)めるための「情報戦」の一環ではないか。

東京五輪で旭日(きょくじつ)旗を振るのを禁止すべきだ――。最近、韓国の人々からは、そんな声も伝えられる》(同)

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旭日旗は旧日本陸海軍の旗であり、いまも海上自衛隊自衛艦旗である。

 日本政府は「(旭日旗が)政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」と反発している。

 そう簡単に言い切れるものだろうか》(同)

 「反日」となるものには何でも食いつくのが朝日の常套(じょうとう)ではある。が、朝日新聞の社旗も立派な旭日旗であろう。

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《なぜ、旗を掲げるのか。五輪を前に一人ひとりが立ち止まり、自由に考えてみるのはどうだろう。歴史を学ぶ、他者を尊重する、平和の尊さを発信する。旗の数だけ、それぞれの思いがあっていい》(同)

 旭日旗を問題にするのなら、まずは自らの社旗を改めるところから始めるべきなのではないか。

 否、一層のこと、戦前はコミンテルンのスパイで朝日新聞社員の尾崎秀実が「敗戦革命論」よろしく日本とシナ国民党を戦わせて疲弊さえようと「暴虐な支那を懲らしめよ」(暴支膺懲(ぼうしようちょう))とシナ事変を煽るなど日本を戦争の泥沼に引きずり込み、戦後は、吉田清治の虚言を元に「従軍慰安婦」の嘘報道を大々的に行って日韓関係を悪化させた責任をとって、朝日新聞社は畳(たた)むべきだと私は思うのであるが…