保守論客の独り言

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閣僚の「8月15日の靖国参拝」について(1) ~8月15日参拝は政治的~

《菅政権になって初の「終戦の日」のおととい、3人の閣僚が靖国神社に参拝した。菅首相は参拝せず、自民党総裁として私費で玉串料を納めるにとどめたが、その2日前には、自衛隊を指揮監督する立場の防衛相を含む2閣僚の参拝もあった。敗戦から76年、首相自身の歴史観もまた厳しく問われる。

 15日に参拝したのは萩生田光一文部科学相小泉進次郎環境相井上信治科学技術担当相。萩生田、小泉両氏は昨年に続く。13日は岸信夫防衛相と西村康稔経済再生相。現職の防衛相の参拝は16年末の稲田朋美氏以来のことだ》(8月17日付朝日新聞社説)

 どうして戦没者を祀る施設に閣僚が参拝しただけでこのような大事(おおごと)になるのか疑問に思うと同時に、批判をされる側もむしろ大事にしたいのではないかと思えなくもない。どうしてみんな8月15日の参拝に拘(こだわ)るのであろうか。

《萩生田氏は「自国のために尊い犠牲となられた先人に、尊崇の念を持ってお参りするのは自然な姿だ」と語った》(同)

 が、どうしてそれは8月15日の参拝でなければならないのだろうか。勿論、8月15日は大きな節目である。が、靖国神社本来のお祀りからすれば、春と秋の例大祭の方が重要である。

 8月15日に拘って参拝するのは、政治的な意味合いが強いということだ。ここで留意すべきは、その方向性が2つに分かれるということである。つまり、8月15日を「終戦記念日」ととるのか「敗戦記念日」ととるのかによって話が180度違ってくるということだ。

 あっさり言うなら、「愚かな戦争が終わって良かった」ととるか「正義の戦争に負けて悔しい」ととるのかの違いである。

 かつて小泉純一郎元首相は参拝理由について、

「日本は過去の戦争を踏まえ反省しつつ、二度と戦争を起こしてはならない。そして今日の日本の平和と繁栄というのは、現在生きている人だけで成り立っているのではないと。戦争で尊い命を犠牲にされた、そういう方々の上に今の日本というのは今日があると。戦争に行って、祖国の為、また家族の為、命を投げ出さなければならなかった犠牲者に対して、心からなる敬意と感謝の念を持って靖国神社に参拝しております」(首相官邸HP「小泉総理インタビュー」平成18年8月15日)

と述べている。

 が、大東亜・太平洋戦争は日本が引き起こしたのではなく引き込まれたものだ。この基本認識を持たぬ人間を国家の指導者とするのは危うい。国家のかじ取りを大きく誤ってしまいかねないからである。

 成程、戦後教育やマスコミ報道の所為(せい)で、日本が大陸を侵略するためにこの戦争を始めたと思い込んでいる日本人が大半なのだろう。が、少なくとも日米戦は侵略でないことは誰の目にも明らかである。大陸を侵略したいのに、わざわざ兵力を分散させて大国米国とも同時に戦うなどということは常識的に有り得ないからである。

 日本は大陸を侵略したかったのでもなければ、米国と戦いたくもなかった。だからこそ対英米戦回避のためにソ連に仲介を依頼したのであった。が、こんな間抜けな話もない。なぜなら日本と英米を戦わせようと考えていたのが当のソ連スターリンだったからである。大国を同士討ちにして漁夫の利を得ようとしていた。所謂(いわゆる)「敗戦革命論」である。【続】