《日本国憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」とし、「主権が国民に存する」と宣言した。不戦の誓いが民主主義と連結した戦後思想は、国民に浸透しているといえるだろう》(8月15日付朝日新聞社説)
<不戦の誓い>を言葉通りに受け取れば、自衛戦争までも否定するものであろう。であるなら、従来の政府解釈とは相容れず、自衛隊保持も憲法違反ということになろう。
国民に浸透している戦後思想が侵略戦争のみならず自衛戦争をも否定するものだというのなら分かる。が、政府のように自衛戦争までも否定しているわけではないという解釈改憲における<不戦の誓い>では言語矛盾にしかならない。しかも「自衛」とは何かが定義されていなければ、大東亜戦争は自存自衛の戦争だったという戦前と状況は変わらない。
《対米開戦前の1941年8月、当時の軍部、官僚、民間の中堅、若手の精鋭を集めた「総力戦研究所」が戦争した場合のシミュレーションを行い、必ず負けるという分析を内閣に報告した。
これに対し、東条英機陸相は「戦というものは計画通りにいかない」と退けたという(猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」)。
東条はまもなく首相になり、対米開戦に踏み切る》(8月15日付毎日新聞社説)
が、東条が言っていることは至極真っ当である。
「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。日露戰争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります」(「日本人はなぜ戦争をしたか 昭和16年夏の敗戦」:『日本の近代 猪瀬直樹著作集8』(小学館)、p. 163)
机上演習は机上演習でしかない。変動要素が限定された机上演習に基づいて戦争に踏み切るか否かを決定するなどということは有り得ない。
机上演習が<必ず負ける>というものであっても、必ずしも実際に負けるとは限らない。勝つことは難しくとも、一矢(いっし)報いて講和を少しでも有利に結ぶということもあろう。
実際、真珠湾攻撃をもっと徹底し、緒戦でハワイを制圧していたら、戦況は全く違ったものになっていたはずである。
中途半端な真珠湾攻撃から見えること、それは戦争というものに対する日本人の認識の甘さ、覚悟のなさではなかったか。
過激に言えば、殺(や)るか殺られるか、それが戦争というものである。冷酷非情の鬼となれぬなら、端(はな)から戦争などやらぬことである。【続】