保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

英国のEU離脱について(1) ~「コスモポリタニズム」の実験場~

《2つの世界大戦を経た欧州は、不戦の誓いを出発点とし、平和と繁栄のために国境を取り払う理想を掲げた。国家主権を超える組織をめざし、地域の融合へ向けて拡大を続けた。

 加盟すれば欧州市民として、自由に移動できる。どこでも学び、働き、暮らせる――。それが普通になり、自らのアイデンティティーを「欧州人」と自覚するEU世代も増えてきた。

 冷戦直後の和平ムードも追い風に、旧ソ連圏を含む28カ国まで広がった》(1月31日付朝日新聞社説)

 果たして<平和と繁栄のために国境を取り払う>ことが「あるべき姿」なのであろうか。これは「地球主義」(cosmopolitanism)の亜流である。ソ連邦による壮大な実験は失敗に終わったが、これに飽き足りぬ共産主義者があらたな実験場としたのがEUである。

 朝日社説子は、EU内を<自由に移動できる>こと、そして<どこでも学び、働き、暮らせる>ことを良き事のように言う。が、本当に良き事とは、「どこかの国に移動して<学び、働き、暮らせる>こと」ではなく、「国を移動せずとも自国で<学び、働き、暮らせる>こと」なのではないか。

 当たり前であるが、このような<移動の自由>は「格差」を増大させる。富める国には優秀な人材が集まり、貧しい国はますます疲弊する。それどころか、<移動の自由>が普遍的なものであれば、EU外からの「流入」を止められない。つまり、移民問題は起こるべくして起こったと言うことである。

《離脱を僅差(きんさ)で選んだ4年前の国民投票の頃から、各国で大衆扇動的な政治が台頭した。反EU、反移民、自国第一。看板が何であれ、統合を支えた寛容の理念が挑戦を受け続けている》(同)

 物事は「平衡」が重要なのであって、ただ<自由>だの<寛容>だのと理想だけ口にするのは「幼稚」である。「自由」や「寛容」が過剰とならないようにするためには「秩序」がなければならない。つまりは、秩序ある自由や寛容が重要だということである。

《二度と戦争を起こさない――。欧州統合の歩みは第二次大戦後、フランスとドイツの和解を土台とする「非戦の誓い」から産声を上げた》(2月1日付毎日新聞社説)

 切っ掛けはそうだったのだとしても、やはりEUは「コスモポリタニズム」(世界主義)の実験だったのだと思われる。英国のEU離脱は、行き過ぎたグローバリズムの1つの帰結である。

《離脱問題の背景には、エリート支配に反発し、移民排斥を叫ぶポピュリズム大衆迎合主義)の高まりと、「自国第一主義」の台頭がある。温床は、人々の不満だ。英国民投票ではそれがEUに向けられた》(同)

 これは「コスモポリタニズム」を良しと考える側からみた勝手な言い分である。そもそも<ポピュリズム>などという言葉が何を意味しているのかが判然としない。<ポピュリズム>という言葉に否定的な意味合いを含ませ、これを貼り付けて批判でございというのは卑劣な「レッテル貼り」でしかない。【続】