保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

追悼:中曽根康弘元首相(2) ~靖国神社参拝をこじらせた元凶~

《三木首相によって中断された「公式参拝」を10年ぶりに復活させたことは中曽根首相の功績ではあるが…その参拝方式に重大な問題を残しただけではなく、不退転の意気込みで実現したはずの「公式参拝」そのものがいとも安易に取りやめられてしまうという無様な結果となった。突如として中国が持ち出した、いわゆる“A級戦犯”合祀を理由とする抗議を受け入れてのことである。これ以降、日本の首相は公・私を問わず、靖国神社の参拝を控えることが常態となる長い閉塞期に入った。

(中略)

首相の靖国神社参拝はあくまでも国内問題であるにもかかわらず、毅然たる態度で相手国にことの実相を説明するどころか、その不当な干渉に簡単に屈したことによって、あってはならない外交問題にしてしまった中曽根首相の不見識さ--ここにこそ靖国問題を打開し難い隆路(あいろ)に追い込み、膠着(こうちゃく)化させたそもそもの原因がある》(大原康夫:小林よしのり編『日本を貶めた10人の売国政治家』(幻冬舎新書)、pp. 169-171

 強硬な人物が膝を屈することはより罪が重い。中曽根氏に出来ないことが他の政治家に出来るわけがない。よって、靖国への首相参拝は変人小泉純一郎首相の登場を待つまで禁忌となってしまったのであった。

《中曽根氏の“罪科”はこれにとどまるわけではない。念願であった「公式参拝」の再々閲を目指してのことであろうが、昭和61167日の新聞各紙は政府・与党が中国側の意向に副(そ)って“A級戦犯”(刑死した7人と拘禁中に死亡した7人の計14人)を靖国神社から分離して別の神社に祀るという合祀取下げ工作を密かに進めていると報じた。その中心にいたのが後藤田正晴官房長官金丸信自民党副総裁である》(同、p. 170

 「合祀」だ「分祀」だなどと、御霊をあたかも「物」のように扱うことに私は大いに疑問をもつが、どうして中曽根氏が「分祀」に拘るのかが分からない。

《中曽根氏は一度たりとも持論を変えようとはしなかった。時代は20年も降るが、終戦60年を目前にした平成1763日、小泉首相靖国神社参拝が熱っぽく論議されていた最中に、「A級戦犯の分祀が現実的な解決法だろう」と述べ、さらに「分祀に時間がかかるなら、参拝をやめるという決断も一つの立派な決断だ」とも付け加えて、首相の参拝を牽制している》(同、p. 174

 「分祀」などというのは優れて政治的なものであり宗教的には有り得ない話であろうと思われるけれども、どうしても戦争指導者が合祀されているのが気に入らない人達がいて、参拝の足かせとなっているのであれば、暴論のように聞こえるかもしれないが、合祀の証拠たる「霊璽簿」をなくしてしまえばよいのではないだろうか。

 「霊璽簿」がなければ、戦争指導者の御霊がおられると思う人にはおられるし、おられないと思う人にはおられないということになる。こうなれば共産主義中国は批判のしようもない。

 英霊に静かに哀悼の誠を捧げ得る環境を早く作りたいものである。【了】