保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

8月15日「終戦記念日」社説を読む(12)産經主張その1

78回目の終戦の日を迎えた。日本は先の大戦で、軍人、民間人合わせて310万人の同胞を喪(うしな)った。すべての御霊(みたま)安らかなれと鎮魂の祈りを捧(ささ)げたい。(産經主張:「首相は核抑止の重要性語れ 悲劇を繰り返さぬために」)

 産経新聞らしい書き出しである。が、

岸田文雄首相や閣僚には靖国神社を参拝してもらいたい。(同)

という主張には、私は賛成しない。8月15日に靖国神社に首相が参拝するかどうかは、今や1つの大きな外交案件となっている。そもそも日本の首相が戦没者を祀る神社に参拝するかどうかに口を挟むのは「内政干渉」であるから無視すればよかったのだが、歴代首相がシナや韓国の批判をおそれ参拝を控えるようになってしまった。

 つまり、この問題において「内政干渉」しても構わないという既成事実が作られてしまったということだ。だから、今更首相が靖国神社に参拝しようものなら海外から強い非難の声が上がることは避けられず、これを収めるために何らかの声明を出さざるを得ないという面倒臭い状態になってしまっているのである。

 私は、首相の靖国参拝は当然のことと考えるが、この問題において中韓に譲歩し続けて来た以上、おいそれと参拝することは許されないと思っている。特に、8月15日という特別な日に参拝することは外交的衝突は現状では避けられないだろうから、参拝するのであれば、五十歩百歩と言われるかもしれないが、春か秋の例大祭にすべきだと思っている(尚、靖国問題については別途詳しく述べる機会を設けたい)。

英霊を追悼、顕彰し、もし日本が侵略されれば今の世代も立ち上がると誓うことが大切だ。(同)

 これは「専守防衛」に呪縛された考え方だ。侵略されれば立ち上がるのではなく、如何に侵略されないようにするのかが先に論じられるべきである。日本本土が戦場と化してからでは手遅れである。

あの悲劇を繰り返してはならないと日本人は願っている。(同)

 が、<あの悲劇を繰り返してはならない>という言葉の理解が大方の日本人と私とでは異なっているに違いない。

 大方の日本人は、戦争をしない、つまり、「反戦」ということなのだろう。日本が他国に侵攻しようとしなければ戦争にはならない。だから、憲法9条は堅持しなければならないと思っているのだろう。

 一方、私は、戦争は彼我(ひが)の「力の均衡」(Balance of Power)が崩れた時に生じるのが歴史の教えるところであるから、憲法9条を改正し、核も含め必要な「抑止力」を有(も)つことが重要だと考えている(因(ちな)みに、私は、9条のみならず現行の米製憲法は廃止し、英国流の不文憲法を採用すべきだと考えている)。