保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(13)産經主張その2

今の日本が悲劇を防ぐために抜かりなく取り組んでいるかといえば疑問である。それを痛感させられたのが、広島と長崎の原爆忌だった。

 広島平和宣言は、「核による威嚇を行う為政者がいる」として、「世界中の指導者は核抑止論は破綻」している点を直視するよう訴えた。「為政者に核抑止論から脱却を促すことがますます重要」と唱えた。ウクライナを侵略するロシアのプーチン大統領による核威嚇が背景にある。

 長崎平和宣言は「核保有国と核の傘の下にいる国のリーダー」に「核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断」するよう促した。核抑止に依存すれば「核兵器のない世界」は実現できないからという。

 このような考えは根強いが、はっきり言って、国民の命と安全を脅かしかねない危うい主張である。(産經主張)

 広島、長崎では、これまでもずっと同様の平和宣言がなされ続けてきているのに、今更<国民の命と安全を脅かしかねない危うい主張>だなどと非難しても始まらない。平和宣言など空虚な儀式に過ぎないことなど誰もが承知のことである。

 日本のメディアの多くは両宣言の核抑止破綻論、核抑止からの脱却論を肯定的に扱った。たとえば毎日新聞は7日付朝刊1面トップで「核抑止論は破綻した」との大見出しをつけた。NHK(NEWS WEB)は6日配信で「広島 平和記念式典に約5万人が参列〝核抑止論から脱却を〟」という見出しで報じた。(同)

 日本のマスメディアが空虚であることもまた周知のことである。

 米国による原爆投下で日本は唯一の戦争被爆国になった。東京大空襲ソ連軍の満州などへの侵攻と並び大戦末期の決して忘れてはならない出来事である。日本と被爆地が核の惨禍を伝え、廃絶や軍縮の願いを発信するのは当然だ。(同)

 これでは、産經新聞も他の空虚なマスメディアと「同じ穴の狢(むじな)」である。核兵器がこの世に生まれてしまった以上、今更無しにすることなど出来ないのである。

 ただしそれは、日本と国民の安全を確かなものにする努力とセットでなければならない。核兵器の威力が極めて大きいため、核抑止とシェルターなど国民保護の態勢を整えなければ万一の際、大変なことになる。(同)

 が、「核廃絶」と「核抑止」を同時に主張するのは自家撞着も甚だしい。「核シェルター」の話も、「核廃絶」を唱えれば、「核攻撃」を許すことになってしまうので、「核廃絶」を唱えるのであれば、同時に「核シェルター」を用意しなければならないというような話になってしまうが、どこまで本気でことのような頓珍漢(とんちんかん)なことを主張されているのか、聞いてみたいものである。