《米国の退潮に伴い「核の傘」の信頼が弱まり、同盟国に核武装の連鎖が起きかねない。世界ではそんな懸念も論じられる。科学者らが警告する地球滅亡までの終末時計は、最悪の100秒前で止まったままだ》(8月6日付朝日新聞社説)
《米科学誌が人類滅亡までの残り時間を発表する「終末時計」は今年に入り、過去最短の「100秒前」を示す。前年から据え置かれたのは、核兵器の削減や気候変動対策で具体的な進展がないためだ。それどころか、核保有国は核戦力の近代化を進め、より使える兵器にしようとしている》(8月6日付山陽新聞社説)
100秒前で止まったままの<終末時計>など何の役にも立たないただの「ポンコツ」である。100秒経っても世界が<終末>を迎えることはない。100秒は「象徴」だと言い張るのかもしれない。が、それほどまでに危険だという言い方自体が破綻していると言うべきである。このような形で危険を煽っても無意味である。
《この6月、核の2大国である米ロの首脳会談が注目すべき声明を発した。
「核戦争に勝者はなく、決して戦われてはならない」
85年にレーガン大統領とゴルバチョフ書記長が交わした誓いの言葉を再現したものだ。
角突き合わせつつも、理性と危機意識を保つという責任と矜持(きょうじ)の表れであるならば、行動で示してもらいたい》(同、朝日社説)
外交によく見られる「机の上で握手しながら、その下では蹴り合う」ということであって、責任だの矜持だのという話ではない。
《米ロを含む核保有国は、核不拡散条約が定める軍縮交渉義務に背を向けている。それでいて、新興国の核開発は許さぬという身勝手な態度が、軍備管理のモラルを侵食してきた》(同)
今さら核保有国の身勝手を論(あげつら)って何になるのか。また、米国とロシアは名指しで批判しても、シナの名を伏せているのも朝日らしい。
《日本の役割は、対米同盟と、中国との歴史的結びつきを生かして米中対話を促す「触媒」となることではないか。北朝鮮の核問題を含む包括的な「北東アジア非核地帯」を視野に、長期的な道筋を練るべきだろう》(同)
米中に意見できるような力が日本にないことは分かり切っていることではないか。寝言は寝てから言ってもらいたいものである。
《大国が動かぬなら、非核保有国と国際世論で核廃絶の歯車を回す。その志が結集した核兵器禁止条約が、今年発効した。
不拡散条約を堅持する核保有国は核禁条約を拒んでおり、日本もその立場だ。だが、二つの条約は同じ核廃絶のゴールへ「補完しあう関係」(中満泉・国連事務次長)である》(同)
<核廃絶>は絶対にやってはならない最悪の政策であることがどうして分からないのか。核が世界から廃絶されたその時が最も危険な瞬間となる。当たり前であるが、核を廃絶しても核兵器の製造法までなくなるわけではない。よって、世界から核が廃絶されれば、次に核を製造し手にしたものが世界を支配できることになるのである。
したがって、必要以上の核を削減することにまで反対するわけではないにしても、核は廃絶ではなく、いかに管理するのかが大事だということを「平和呆け」の日本人ももうそろそろ理解すべきではないだろうか。【続】