保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

ナショナル・ルサンチマンが生んだ核廃絶の責務意識(5) ~核廃絶は悪魔の囁き~

《私たち自身も過去と向き合わなければならない。五輪開会式のショーディレクターがかつてユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を揶揄(やゆ)したとして解任された問題では、負の歴史が共有されていないことがあらわになった。戦時中の日本による加害行為を含め、歴史教育の大切さも再認識したい》(8月5日付日本経済新聞社説)

 私は<戦時中の日本による加害行為>などと言う日経社説子の歴史観を疑う。大東亜戦争は日本が大陸を侵略したのではなく、英米によって引き込まれた戦争である。そしてその裏には「敗戦革命論」を唱えるソ連スターリンがいた。東京裁判当時は明らかとなっていなかったことが次々と明るみになっている。未だ東京裁判史観に呪縛され続けている人間に社説を書く資格はない。

《悲劇を世界に伝える役割はこれから、戦争を経験していない世代が担う。広島と長崎だけでない。日本人すべての責務である》(同)

 戦争を経験していない世代がどうして世界に戦争の悲劇を伝えなければならないのか、否、伝えられるのか。おかしなことを言うのも大概にして欲しい。

《今年1月に亡くなった作家の半藤一利さんは原爆について、鋭い警告を発している。「制御できない“死の兵器”を自分たちの手で作り出したから核兵器廃絶の道以外に人類の明日はない」》(8月6日付中國新聞社説)

 たとえ核兵器が廃絶されなくとも、核兵器が使われない状態での「人類の明日」はある。実際、そうなっている。

 核兵器は制御できないわけではなく実際制御されていると言うべきである。半藤氏は例によって適当なことを言い過ぎであるし、それを<鋭い警告>と称し取り上げる社説子も社説子である。

《原爆の惨禍を知る広島ゆえに、全人類のために果たすべき責務がある》(同)

 成程原爆の惨禍を知る広島や長崎、そして日本にしか出来ないことがあるのだろう。が、そうではあってもそれは決して<責務>ではない。こんな自虐的になる必要などまったくない。

《自滅を避けるため、核抑止神話の虚妄を打ち破る先頭に立つことである》(同)

 <核抑止論>が<虚妄>だと言うのなら、その根拠を述べるべきである。が、現実は広島・長崎後、核兵器は使用されておらず、むしろ<核抑止論>の正しさが証明された状態が続いている。

 核兵器がないに越したことはない。が、実存してしまっている以上、管理するより方法はない。

 削減はすべきであるが、廃絶は絶対駄目である。核廃絶は廃絶後の世の中を牛耳ろうとする悪魔の囁きですらあることを我々は理解すべきである。【了】