保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

孔子廟判決と政教分離について(5) ~未だ解けない「日本弱体化計画」の呪縛~

問題は次の部分である。

《現職閣僚らによる靖国神社への参拝など、国家と宗教の関係に疑義を抱かせる行いは後を絶たない。靖国というと近隣諸国への配慮の観点から語られることが多いが、問題の根本には多くの犠牲のうえに手にした憲法上の要請がある。今回の判決を機に、政教分離原則の意義を改めて胸に刻む必要がある》(同)

 <多くの犠牲のうえに手にした憲法上の要請>と言うと聞こえが良いが、実態はGHQの日本弱体化計画であった。GHQは、1945(昭和20)年12月15日、「国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」なる覚書、いわゆる「神道指令」を発した。この延長線上に憲法の<政教分離>規定がある。

《『神道指令』というのは非常に「面白い」文書です。これを読むと、どうして戦後世代の日本人が戦前を全否定するようになったのか、手に取るようにわかります。例えば、明治の初めからずっとやってきたことなのに、日本政府が神道の神社にお金を出すのはまかりならぬとか、公務員や政治家が神社に(寺や教会ではなく)参拝するのはダメとか、そういったことが事細かく書かれている。

 戦後60年経つ今でも問題になっている「靖国参拝問題」や、あるいは各地の地鎮祭などをめぐる混乱といったものは、みんなここにルーツが求められるわけです。のちの日本国憲法のいわゆる「政教分離」原則(憲法第20条)も、ここから出てきたものです。だから、憲法のこの原則は神道以外の、仏教やキリスト教については、これまで大きな問題とされたことはありません。これは一種の「神道弾圧政策」だったのです》(中西輝政『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書)、p. 25)

《宗教的自由というのを、簡単にいうと、個人の宗教的な問題に政治は関係ないということでしょう。でも、これはヨーロッパの政教分離というのをよく読んでいくと、むしろ「教会が政治にタッチするな」なんですね。日本だとこれ逆になりましてね、「政府は宗教にタッチするな」になる。同時に、政治家というものは無宗教じゃなくちゃいけないという原則がでてくる。これでは逆な意味で自由じゃなくなるんです》(山本七平小室直樹日本教社会学』(講談社)、pp. 43-44)

《なぜ、神道だけを目の敵にしたのでしょうか。それは、日本の力の根源の一つが神道にある、と見たからです。なぜ神道が、日本の力の根源と関わっていると見たのでしょうか。それは簡単に言えば、西欧人は、国力の根源には必ず宗教が関わっている、という見方をします。そして、神道は日本にしかない宗教だからです。占領軍は、こんな程度の認識だったわけで、それをいまだに受け継いで靖国参拝に反対する日本人がいることは驚きでもあります。

 しかし『神道指令』は、神道の禁止だけを目的としたものではありませんでした。『神道指令』が日本および日本人に命じた事柄は3つありました。それは、神道に加え、皇室の伝統、そして歴史教育を全面否定することでした。ですから、今日でも、かつて占領軍を「解放軍」と見た左系のマスコミや政治家は、「神道」「皇室」「歴史教育」の問題となると、常軌を逸した攻撃・批判をしようとするのです。

しかし考えてみると、この3つはいずれも日本という国について日本人が考えようとするときの核心にあたるものではないでしょうか。どこの国でも大切にするはずの「国としての核心」を、この国では何としても「忘れさせようとする力」がいまだに強く残っているのです》(中西輝政『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書)、pp. 25-26)​【了】​